AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2008年 12月 07日

ナンシー関展

「ナンシー関 大ハンコ展」最終日。事前に知ってて今頃にやっと会場へ。

会場のさくら野百貨店 青森店4階「イベント ホール」は行列というところまではないにしろ、最終日とあってざわざわと混んでいる。原版の消しゴムが入ったアクリルカバーのケースとその後ろの壁に消しゴムハンコのサイズよりも拡大されて図像が掲げられている。来場者は見知っている芸能人や文化人やタレントの似顔絵を探したり、判読できない顔(見慣れない人物なのか、あるいは単に似ていない)が誰なのかを同伴者と小声で話している。小さな子供連れには「この人誰ぇ〜」と興味なさそうに子供に聞かれ説明しているお父さんやお母さんもいる。ナンシー関が亡くなって7回忌という。まだ6年しか経っていないのか。テレビ番組批評でタレントを描き・文章を書くその文体は多くのファンを持っている。私もそのひとりである。

ナンシー関の版画が「芸術上の版画」である必要はない。ナンシー関はナンシー関である。消しゴムという身近な素材を使ってテレビという日常的なところにあるものから流れてくる番組の向こう側の世界をナンシー関の眼で捕獲し、時に料理して、「ほいっ」と出された感じがある。その一連の行程が見えて面白いのだから。自分も漫然とみている同じ番組の自分には見えなかったり、そういう言葉に置き換えれなかったポイントがあらためて運ばれてくると虚をつかれる。その呼吸が胸をすくのだ。

文章に添えられていた消しゴムハンコで描かれたカットが五千以上残されていたときく。この展覧会はその消しゴム原版の展示が目玉だろう。ここで版画と言わずに「ハンコ」と題しているところもある計算があってのことだろうと思える。本当は原版の展示ってあまりないことだろう。希少性。版画展では刷られた版画が並ぶのが「展覧会」であり、解説的に技法やその原版まで並ぶと、すこし解説的で博物的だったりする。版画は観覧者にとってその技法にまで興味がゆくもののようである。油絵の展覧会でその技法にまで云々することは(専門者間での研究目的以外では)あまりない。版画も本来はそうなのだが「どうやって刷ったんですか」とはよく訊かれる。消しゴムハンコは基本的には木版画と同じく凸版である。リトグラフやエッチングやシルクスクリーンの版画技法のようにイメージしにくいものではない。でも、そのカッター(や彫刻刀)の彫りの緻密さや繊細さを実物を見て驚かされ眼をみはることがある。
印刷で拡大され複製されるナンシー関の「オリジナル・ハンコ」に驚かされるものの、来場者の多くはテレビ(だけ)で見た人物の表情や似具合に興味をそそられているようだ。彫り跡の生々しい消しゴムの列をちらっと見て「大変だなぁ」とおもい、すぐ目線を上げると左右逆転(版画だから)して拡大し見やすくしてある「コピー」の似顔度やタレント度に話題が移るようだ。
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by aura-21 | 2008-12-07 14:59 | 展覧会


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