2009年 07月 01日

お車のため

終日曇天。

半年があっという間に過去になりました。

昨夜借りてきたDVD「007 慰めの報酬」を観て、その展開の速さに、ストーリーに追いつけない脳とアクションに追いつけない視覚とを感じ、ちょっと困惑させられて眠りにつきました。時々停めたり、スロー再生できるDVDの機能に助けられます。映画館でみたらきっと目がまわります。
昔はあまり好まなかったスローでほのぼのした映像作品に自身の肉体と精神がより添ってきていることを実感した、というか、何かそういうものを突き付けられました。


一昨日届いた車のため自動車保険の内容変更と、「安全」のためならば様々ある験を担ぐ我家らしく車のお祓いのために神社へ予約の電話をしました。「二時においで下さい」

届いた車はもちろん中古車です。頼んでいた業者さんの提示リストから一番走行距離の少ないものをチョイスしました。自分にとっては今までで一番新しい平成12年型式。まだギアの位置がフロアー式からコラム式に変わったことに体が慣れず、バックから前進にギアシフトを変える際に手がシートの左下に動いてしまいます。歳をとるとそうした反射運動だけの動作が過去の惰性からなかなか抜け出せません。もしかしたら、自分の創作的な所作もそれに近いのかもしれないな、、、と困惑させられます。

自動車保険の内容変更では「ABS機能は付いていますか?」に、付いていたかどうか自信がなくて、車に戻ってエンジンをかけメーター内に点灯するABSマークをみてから「付いてました」と走ってカウンターに戻る始末。買った車の内容などまったく理解もしないで「車は動けばいい派」を自認しています。


トマトジュースだけの昼食(別にダイエットなどではなく、作るのが面倒なだけ)後に車のお祓いをしてもらいに市内の八甲田神社へ。前とその前の2台は市内の成田山で法螺貝を吹き鳴らす響きの中でお祓いをしてもらった。それも特別な信仰心があったから成田山にしたということでもない。初詣や節分やバレンタインもクリスマスもその背景の宗旨に深く関わった付き合い方はしていない。知ろうとすれば全てにはそれなりの云われや歴史や風俗的意味合いや現代との関係や矛盾やトリビアや誤解とかとか、、がきっとあるだろう。
ただ、表面的な行動です。賽銭を投げたり、豆をまいたり、チキンを食べたり。
自動車事故には遭いたくないです。加害者でも被害者でも。予測不可能なことにどれ程霊験あらたかなのか。それはきっとお祓いしている側でもオカルト的には何も保証はしていません。事故ったら当事者の責任です。祈るとか祓うとかはその神事のセレモニーの大げさ感から「責任の重大さ」を再認識させるものだろうな、、と、行為を受けながら感じていました。建築の時その土地を祓ったり、上棟式に餅をまいたり、大きな土木工事の鍬入れ式とか。なんでも最初に祓う行為でリセットするような感じです。中古品でもリセットし再起動させるための、日本的な「禊」というようなものにも関係ありそうです。
験を担ぎ、誰とはなしに無とか白紙状態とかタブラ・ラーサ状態を取り返せるような(経験知識のための無地状態とは違うけど)です。私は右でも左でもありません。
車のお祓いは三人の神官により神社拝殿で行なわれました。太鼓が打ち鳴らされ、神官が拝礼し、御幣で頭上を祓われ、祝詞を読まれます。祝詞の一部は判りやすい言葉が使われるので自分の住所とか名前、車種やナンバーナンバープレートまでが祝詞の中に入っていると笑いを我慢したくなります、ナゼだろ。
同伴なく一人で行ったので祝詞の後の二礼二拍手一礼して榊を置く動作もわたしだけ。その間、笙と笛が生演奏されます。テープではありません。ちゃんとしています。包んだ初穂料で足りるのか?と思える程の儀式です。その後、外に出て拝殿前の四方しめ縄を張った中に置いてある車のドアを全部解放し御幣を振り回しお神酒(だと思われる)振り終了。
現在の宮司は小学校と高校で同期だったので、儀式が終わると普段の対応になる。
「見た目がだいぶ芸術家になってきたね」
「あぁ、見た目だけはね。内実がぜんぜん伴わないよ」
増々伸びた髪を後ろに1本束ねているが癖っ毛なので両肩に広がる。おまけに52歳にしては(たぶん)派手な柄の丁シャツか。

終了後、先代の宮司さんに敷地内に新しく出来た宝物館内を案内してもらう。
今は名誉宮司を任じ、忙しい時には神官の仕事もしているそうだが、今日のお祓いも現職に任せている。自分は調べものなどの研究に時間を費やすという、現代では贅沢な意味で「ご隠居」だろうか。新しい建物は木造の2階建て。C町の古い家は既に壊して更地。そこにあった倉で保管していた蔵書や収集した美術などを置くためという。展示空間と聞いていたが蔵書数や先々代の書や書き付けなどの資料がガラスケースの中に拡げられている。大きい書斎という感じ。展示物はちょっと窮屈。詰め込み過ぎの展示はどこでもよくみかけることなのでしょうがないし個人のものなので何も言えない。
見せるための展示というのは、また独特な所作が必要なのだ。

車のお祓いから収蔵庫の拝見などして一時間。帰宅して母と伯母を乗せ浅虫方面まで軽く走らせてみる。
道の駅で折り返す。そろそろ夕方。なんだか疲れてベットでそのまま寝入ってしまう。



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by aura-21 | 2009-07-01 23:29 | 作品画像


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