AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2010年 01月 07日

創作工房展 パリ電話

久しぶりに早く起きた。というか早くに外出した。
今年は元旦ですら昼過ぎ起床だったな。

県美へ。「創作工房 ほ・だあちゃ展」の搬入。
Sさんの自宅を解放しての版画や陶芸の工房。利用者は障害をもった方々ということになる。が、美術と障害との関連を考えると複雑に様々な要素が絡んでくる。社会福祉制度にどこまで頼れるのか私には分かっていない。門外漢である。

アートについて考えてもまた自分は何も社会的なことを省みないまま無頼気取りでイイカゲンサを突っ走るだけのような気持ちでいる。まったく覚悟も理念もないまま、どこにも泣きつけない無計画で不確かなものを支えに踏ん張るしかない自分自身なのだ。家族や周囲の友人に助けられている事には間違いない。そんな自分がまさかここまで障害者のボランティア的活動につきあって手伝いや展覧会準備までやることになろうとは思わなかった、、というのが実感である。
版画を手伝っている関係でこの展示を頼まれた。広い会場に散りばめた作品は作家性とか「展示と作品」とかの概念が落としどころなく頭の中を空転しよぎる。幼い自問自答の数々につまずきながらも作業をすすめる。なんとも言えないものだなぁ、、、と桎梏と諦念。




展示になったのだろうか。
この展示で見せたいものは何だろうか。また誰か何かを勘違いしてしまわないだろうか。純粋に「作品」を見せるにはあまりにも不明確な要素がいくつもついてしまう色眼鏡を通してますます誤解の深淵に落ち嵌らないだろうか。アートとか障害という語彙がまた何か見間違えさせる二重の落とし穴として横たわる。理解を阻むもの。そこへ関わるこちら側の意識は何を顕示させようとしているのか。魅せるものを作るアーティストと同時に障害を持つ者を紹介し並べる。市井の工房で産み落とされる作品がダメだとは言わないが、アート作品として「障害者だから」というゲタを履かせてしまったら評価基準もそこで何かを失効するような気がする。

挟まれて桎梏を感じざるをえない。

17時になっても展示作業は終わらず延長を願い出て結局は18時を少し過ぎて終わる。
県美のコミュニティ・ギャラリーを使った展覧会は明日から11日まで4日間開催。
会期中の10日(日曜日)には13時半よりフォーラム「生活の中のアート」開催。




夕食後にパリに住む作家の佐藤達さんから電話をもらう。
16時頃にも一度電話を頂いたようだが珍しく不在で出られなかった。
70分以上も話していた。自分からかけてはいないが電話代が気になってしまう貧乏性。

今年佐藤さんの実家のある宮城県登米市でアート展開催の予定があり、私が先日参加させてもらった「アート@つちざわ」の状況を参考に聴きたかったそうだ。昨年秋にもそんな電話をもらっていたが、思えばその時に話した内容とさして変わらず追加する要素もない内容だったのだが。
登米市での美術展は作家を選考し依頼する形式のようだ。市側からの予算請求も通過していない段階。その準備資料のために参考意見を聴取している最中なのだそうだ。
計画している第1回展は「幾何学的抽象」をテーマに据えてみたいそうだ。続けば第2回にはアンフォルメルな抽象をテーマに据えたいとも語る。
日本をみると10年おきくらいにめまぐるしく変貌するその時の20代30代の現代美術の表層的潮流にばかりスポットが当たる印象が強いそうだ。これは日本に顕著な傾向ともいえるそうで、還暦を越えて国際的に活動している佐藤さんにはあまり関心は湧かないようだ。作家が毎度変貌するトレンドに押し流されていては作家としての同一性が希薄になる。長い作家活動にとって一時的な時流から外れることにこそ意味があるようだ。
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by aura-21 | 2010-01-07 23:54 | 展覧会


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