2009年 08月 31日

陸奥新報 のれそれカッフェ その1

「幻視・幻聴・創造」

c0156162_1502048.jpg

 無意識に読み流す言葉、見過ごす風景、聞き流す響き。それらはずっと細胞の中に引っ掛かったまま、ナニモノカの誕生のためにその機会を狙って待機しているかのようです。
 創造への契機や原動力はどこから舞い降りてくるのでしょう。雪や花びらのようにひらひらと空中を漂い降ってくるものをキャッチするという比喩も素敵ですし、見えない妖精が肩先で教え囁くというのも素敵な喩えです。しかしそんな詩的な出会い方でも短命なこともあるでしょう。摑まえたと思った瞬間に掌を開いてみたら、歓喜する情動はたちまち震えて別なものへと腐敗してゆくかのようです。雪は蒸発し花びらは土色に枯れ、妖精も屍に退色し変貌するかのようです。しかし実はそこからこそが出発です。開始の原動力が紡ぎだされます。一度や二度は裏切られ打ちのめされるくらいのことは必要です。蒸発して気化するのも土に還るのも、生から死へ移行するのも、循環する創造の元素の誕生に必要なことです。渇望する力が繰り返し湧いてくればきっと元素は再構成され形を成します。渇望が残っているのならそれは待望するナニモノカを産み出すエネルギーとして力を貸してくれると思うからです。予想とか計画などという限定や囲い込みが自分の中のナニモノカに裏切られた瞬間からこそ創造的出発があるのではないでしょうか。積み上げたものをもう一度打ち壊す力。無意識内に溜め込んだものがその清浄な判断をしてくれるはずです。
 我流の手法で言うと、大きなインスピレーションを与えてくれるものの多くは、たとえば半覚醒時に感覚器に触れてくるようなもののようです。車窓を飛び去る風景や雑踏で交雑するノイズ。そこに含まれた創造の糸口を拾い集めています。目的や用途を持った形でもなく意味すら不明の画像でも、気になるフラッシュバックを喚起するものを集めるのです。雑踏で振り返り確かめようとしても、もうそこには無いものです。ある種の幻視や幻聴です。素敵な見間違いです。幻を肯定的に探し求める努力をします。人為的なものよりも人為を消去したその先に存在するものを探しているようです。それは理想的に言えば誰の手にも届かなかった処にあるものです。幻視・幻聴をたぐり寄せ再構築したナニモノカは現実と幻想の境目を自由に無意識していきます。素晴らしい創造は、次の創造を連鎖反応的にひき起す力を持っているはずだと妄想しています。べつに変な薬はやっていませんよ。(笑)

陸奥新報「のれそれカッフェ」掲載)
[PR]

by aura-21 | 2009-08-31 14:58 | 作品画像


<< 木版 新聞 ハガキデザイン      つちざわ その3(観光) >>