AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2010年 04月 25日

陸奥新報 のれそれカッフェ その5

「画廊が少なくなって」


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 県内公立の美術施設が様々な展覧会を開催するなかで、街の画廊の元気がなくなり休んだり閉廊してゆく話が聞こえて寂しさと心配を感じています。画廊は展示する地元の人たちと共に地域文化の下支えをする役割も果たしてきました。この不況下です。閉廊という話題は都市圏からも地方からも聞こえてきます。他県ですが3月にM市のL画廊が、来月にはS市でも一時閉廊する老舗画廊があります。画廊ごとにその特徴も姿勢も様々です。L画廊は地元作家や美術学生に利用され、小さな空間ですが中心市街地にあり若い作家のたまり場で交流の場所でした。長い歴史と経験を持ち各世代の作家と共に歩んできたS市の画廊はベテラン作家の展覧会も精力的に行なわれ、キャリアを積んだ作家の新作と出逢える場所としても貴重な場所でした。これら街の画廊の閉鎖は時代に於ける文化の句読点かもしれません。残念なことですが感謝し労う気持ちで「お疲れさまでした」と言葉を投げかけるしか為す術のない無力感を感じます。
 ワークショップという言葉も県内この十年程で耳なじみ定着しました。美術施設開館と並行して関連イベントにワークショップの参加者募集が美術教育普及的役割も担って増えたようです。作品そのものの鑑賞に繋がるワークショップもあれば技法を知る体験講座もあります。作家との共同作業を狙って展示に絡めたものや、手軽に数時間の受講で作品完成にこぎつけるワークショップや、なかなか完成に到達しない内容のものもあります。もちろん完成の意味というのも大きな問題です。お手本と酷似したものが出来上がって喜んでもクリエイトしたという気持ちは満たされません。創作には参加者それぞれの個性的暴発が要求されます。自己の個性や技術の未習熟度を自分自身に突き返される体験もワークショップの醍醐味かもしれません。
 誤解されるかもしれませんが「他人と同じことが出来ない」という感覚をもつ事が重要な経験なのではないでしょうか。真似する必要はありません。真似して作ってみることへのある種の抵抗を感じることこそ重要です。もしそう感じたならば、それは「作家への第一歩かもしない」と唆したいほどです。そういう覚悟をもって手探りにでも何かを作っている時、近くで一番面白がったり話相手になって味方してくれるのが、今なくなりつつある地域の経験ある画廊やそこに集っている人達だったりするのではないでしょうか。
 今回もまた虚々実々を書いています。


陸奥新報「のれそれカッフェ」掲載)
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by aura-21 | 2010-04-25 15:10 | 作品画像


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