2011年 09月 21日

印象派〜っ

台風が近づいている。

東京に住む妹から
「教えている名古屋の大学の授業休講になり 携帯で予約した東京からの新幹線は既に出発 指定の特急券のキャンセルが間に合わず、、、」な 悲しいメール。
しかし、、、、なんで、、、兄に送るか?
夕方見たニュース映像。あちら方面は大変なことになっている。



雨の中を外出、、、きっと外光を愛する印象派の画家たちはこういう日には絶対に戸外へは出ないだろうなぁ〜、、、という日に青森県立美術館で開催中の「美術館が解いた謎 光を描く 印象派展」へゆく。
この天候では入館者も少なく、ゆっくりと観覧できるだろうと狙っていきました。
私の印象派展の印象は「鑑識による科学的調査」という感じでした。サスペンスです。土曜ワイドミステリーです。
微に入り(美に入り)細に渡って(差異に渡って)の検証はミクロ的視点に入りすぎて、絵の内容や作家個人の創造性から少し離れてしまっているように思いました。それは絵を見ていない、別なところへ連れ去られた展覧会だ、という印象です。肉眼よりもレンズや放射線を介した視線であり、見えたものの分析はアリバイのような事実の積み重ねでした。
展示している作品内容も「絵画展」としては地味目なものが多いようでした。まぁ総花的なものよりも逆に展覧会の意図が絞り込めていいのですが、期待はずれな感じもしかねません。
ゴッホとルノワールとモネとスーラあたりがビックネーム。でも彼らの作品の中でも絵的にはマイナーなものばかりが集っています。でも「こんな絵も描いていたのか」という驚きの感想もあります。その意味では絵描きの生活の実像がかいま見れる。それは創造の秘密というよりも画家個人の生活者であるという当時の現実をかいま見せる展覧会であり、そこは巨匠がもっと身近に感じることのできる意義ある部分が詰まっているように思う。買ったキャンバスの店や描いた絵の上にまた別な絵を描く(ギャンバス代の節約か)というのは学生時代に周囲で普通にあったことと共通することでもある。当然といえばそうなのだが、雲の上のような超越したところにあるような作家のマナの顔がかいま見れる。しかしエックス線恐るべし、です。

モネの「睡蓮」が8月28日まで展示されていたそうです。見られずに残念でした。
印象派のスタートが日本での江戸時代末から明治維新ということも、絵を前にしてみると改めて考えさせられます。新しい表現の革新性は歴史上いつも最初は逆風の中であるということ。最初はパトロンや一部の愛好者の応援や援護や贔屓があっただろうと思うと、複雑な人間関係をも考えさせられます。
今ではすっかり当たり前になった印象派の表現、時代の革新的な手法が同時代の哲学や産業や風俗や技術革新と連動して生まれ、次のものへより次のものへと何度も脱皮して今に至っている連続性を思います。
現在の(嘲笑を誘いながらも?)次を開拓している新しい表現手法はなんだろうか。
と考えても、なかなかそんなことは簡単には見えないようになっているのがこの時代なのかなぁ〜と、帰りの雨の中で思い巡らしていましたら、その通い慣れた道で迷いました。







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by aura-21 | 2011-09-21 22:22 | 展覧会


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