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AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2006年 08月 12日

平和 サバイバート

曇天 一時雨



10時半の約束でSさんとお会いする。今月20日にSさんたちが参加するイベント「新町ふれあい広場」でちょっと下見に付き合って欲しい旨。3月に行なわれた「オープン カレッジ」の版画を再度ここで展示し、テーブル出店するもよう。建設中のマンションを囲む塀のどこを展示場所として使わせてもらえるか現場管理者との話合い。



青森市民美術展示館 1、2、3階で開催中の「第54回 青森・平和美術展」をみる。
この展覧会は戦後間もない頃から今年まで連綿と続いていたものと聞く。当初から反戦を掲げ平和への希求をメッセージにした団体展とうかがう。しかし残念ながら現代では趣味の集いに見えてしまう。それは平和の中にいることの意味を作品に先鋭的に意識的に打ち出しにくい現代だからだろうか。現代の日本が平和と決めつけて何の疑問もわかず無自覚になっているせいだろうか。他人事ではなく自分もそう感じていないだろうか。世界のどこかで戦争は起こっている。その反映が「ガソリンや石油製品の値上げ」程度にしか認知されないでいると、平和という問題意識も希薄にならざるおえないのだろう。平和は大切であり気を緩めるとなくなる。自由と同じくらいに意識することを怠ってはいけない。美術にとって平和や自由は必要条件だし展覧会の趣旨として忘れ去ってはいけない。「平和」を冠しながら作品展としては伺えるテーマは希薄で、絵にも表現にも素人っぽさが見受けられる。時間がすべてを消去する。ここでの問題はかならずしもここだけでの問題ではかもしれない。

この展覧会の運営母体は青森美術会というそうだ。代表は画家の尾崎ふさ氏である。
面識はないが作品の何点かと氏の画集を見たことがある。療養中か今展には出品していなかった。夕刻にお会いしたACAC 浜田館長に伺ったら、今月9日に尾崎さんはお亡くなりになり今日はそのお別れ会だったそうだ。享年83。ご冥福をお祈りします。

「1950年、画家の故常田健らとともに青森美術会創立に参加。2001年、同会代表に就任。働く人々をモチーフに、リアリズムに徹した力感あふれる作品を描き続け、平和美術展などで指導的 役割を果たした。(Web東奥の訃報より)」

久しぶりにかみさんと一緒の昼食に「橋本屋」のラーメン。
その後にかき氷が食べたくなり古川に戻り「大谷製麺」へ、ここの苺ミルクは氷の盛りが大きいねぇ。電動ながら昔ながらの構造のかき氷機が懐かしい。扇風機が暑い風をかき回す店内で近所のおばあちゃんも同じテーブルでかき氷を食べる。ほお張り過ぎて頭イタイ。



帰宅。明日のお盆の買い物など。




夕食後に松竹会館へ。「サバイバートカンバース File.017 Survivart—お金とコミュニティに焦点をあてたプロジェクト—2006 "sower of innnovation —新しい方へ—" vol.2 自治体(Autonomy)」というフォーラムへ。すこし遅れて着く。

立木祥一郎氏(NPO harappa理事)、福士正一氏(オドラデク道路劇場 主宰)、小倉俊一氏(ARTizan 代表)を地元パネラーに招き Survivart メンバーが司会進行。参加者からの意見交換もあり熱気を感じる。

現在 弘前で開催中の奈良美智+grafの展覧会に関する話題に偏りがちだったが、青森県内の美術組織(作家が集まっての組織ではなく、作家やアートを応援したりサポートしたい人の組織)の姿勢と取り組みには幾らか違いも見える。harappaはよく知らないが青森市内の組織に関しての解説にはちょっときれいごとにしか見えないような内容もあり内心苦笑。県外から青森のアート活動をみると総体として活況があってこう映るのだろうか…という印象。着実な成果と若干下駄を履かせたものがある。

harappa理事の立木氏の発言は力強い。奈良氏の展覧会の成果や実績やそこまでの実行力が裏打ちとしてある。成功例はなかなか参考にならないものとも言えるが議論の流れはおもしろい。また立木氏が作家に対しての存在意義や「作家ありき」でこうした企画がすすみ成功したと見る「前提」をGoodの要因と捉えているのに対し ARTizan 代表の小倉氏が作家の存在は「Badの要因かも」と洩らしたことが気になった。小倉氏が場の空気を読み違えて笑いを取ることに失敗したのか、そこから議論を展開したかったのかは解らないが、応援したい作家がいるから活動するという前提に対する考え方の違いか。この考え方ひとつでその組織の本当にやりたいことが見えてくる気がした。

発言量が立木氏に偏ったが、一人の作家(舞踏家)として参加している福士氏の意見も長年現場に立った経験とそこから生まれた考えが明確に見える意見をぽつりぽつりと披瀝する。作家は現場に「居合わせている」のではなく主体的に関っているのであってサポーターではなかなか其処まで立ち入ることの出来ない視点からの意見と思えた。

「奈良ねぶた」(弘前のねぷた祭に奈良美智氏造形のボランティアねぷたが出陣した)について客席からの意見があった。それは戦略的宣伝力の成功と伝統(慣習)との違和感だろうか。客席とパネラー立木氏(ナラヒロ実行委員)両者の意見と思いに同意・同調して聴き入る。その数30台が多いかどうかは解らないが、そのことで伝統的な祭が例年とは違って見えたことは理解できる。その違和感に対しての客席側からの発言だったと理解した。

「お金とコミュニティに焦点をあてたプロジェクト」で「自治体」をテーマにした今回のSurvivart だが、実際に自治体で行政的にアートに関っている参加者は客席にふたりしかお見かけしなかった。そのひとりもレクチャー最後まで居なかったし自分の職責で来たのではなく個人的興味から来たようだ。行政に意見を求めたり陳情する場でもないだろうからそれでいいのだが、行政の現場はそうしたものには関心が薄いのか? 或いはソレどころではないのか(笑)

では地元の美術作家はどれほど来たのだろうか。音楽家は数名いたと思われる。美術家より音楽家の方が社会性に関心が強いのがこの青森での実状なのか?

私自身美術の側にいる者として、手渡されたレジュメの「青森県におけるアート活動の変遷」がアート的市民活動の組織系統図であり作家の活動ではないことに気付かされた。だんだんアーティストがミュージシャンのことを指し、アート活動がサポーター主導のアート運動を指すことをすこし危惧しながら、足早に会場を後にした。



フォーラム中にかみさんから連絡。盛岡の作家 百瀬 寿さんが来青しホテルUに泊っているそうだ。合流し0時過ぎまでご一緒して飲んだ。
代行運転にて帰宅。代行利用2回目。



価値観を押しつけるのではなく、価値観の提示だけに留めるべきなのだ。
セールストークが饒舌になると次の瞬間からその内容が嫌味っぽくに聞こえてくる。
美術を愛することはひとりの美術家のある作品を愛することから始まるが、それ以上に広がらないでひとりを愛し続けるばかりとなれば偏愛だろう。しかし美術はどこまでも偏愛である。それは自分の関われる限界となれ合うことで、その瞬間から「美術」から乖離するような感覚がある。

by aura-21 | 2006-08-12 23:17 | 展覧会


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