2001年 01月 04日

「作品」

「作品」は何処から来るのか。その秘密さえ知っていたらどんどんと創り出せるだろうに…だが、秘密は何処までも秘密のままである。

「魂の作家たち・アート展/エーブル・アートへの挑戦」という展覧会を見る。青森県内の擁護学校や授産施設に通う人たちの絵画・書・焼物など200点余りを展示、賛助出品で兵庫県からの出品もあった。「エーブル・アート」というと体や精神に障害を持つ人たちの芸術作品といわれている(まだ新しい言葉でもありいろんな議論の対象ともなってはいるようだ)。「創造」という視座からいえば、彼らを過剰に特別視してその作品を誉めたたえることには手離しでは賛同できない。また、それは何の結論にも至らないだろう。創造はいつも出来あがったものから判断するしかない。障害者も健常者も関係なく平等に厳しいところが「創造」にはある…作ってみて佳く出来ているか全くダメかの分かれ目は同じだ。現実にこの展示会場には妬ましいほどに美しいものが(全てではないが)数多くあった。かなわないほどに熱烈な美しさに惹かれる時、彼らにどんなハンディや事情があるかは見えない。また見なくてもいいことと思えた。だからこそ「純粋」という語や「魂」という語が似合ってくる。もし同じ芸術や美術という処にいるのであれば、今後は健常者も障害者もなく同じ会場で分け隔てなく作品が並べて見られることこそが今世紀には当り前のことになっていて欲しい…と感じた。
過大も過小も偏見には違いないのだ。



浅虫方面で開催中の展覧会を2つ見たあとに、某介護施設に入所する伯母を訪ねる。初めて来たこの施設は明るく広い。先秋から入っている90才近い伯母である。会話は普通に交わすが時間的にすぐ前に起きた事が解らなくなるらしい。足腰が弱まり杖に頼っても自由に動きまわれるわけもなく、1日の大半をベットに寝て過すようだ。ここに集まっている人たちとその家族にとって「退院」という言葉はあるのだろうか? 
養老院ともホスピスとも違うのかどうなのか…。忙しい家族の代わりに介護士の方々が付っきりで懇切丁寧に対応してくれている。家族(身近な親族)に介護の必要な人がひとりでもいれば切実に感じることに違いない問題だ。
今日は簡単に断言できない「生きること」の側面について、深く立ち入れないままに書き込んでしまったかもしれない。
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by aura-21 | 2001-01-04 00:33 | ART


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