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AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2001年 11月 23日

聲(テロとアート)

今日も小春日和の上天気な勤労感謝の日です。
作品の写真撮影は今日も出来そうにありません。
外出もせずにずっと家にいました。なぜか出かける事が出来ずに家にいました。


ニュース23で「テロとアート」という特集を見ました。
敏感に社会に対してアンテナを張っているアーティストにとっては非常に大きな制作へのモチベーションになることと思っていました。
先日の深浦での展示作品を制作中に こんな私にもあのNYの映像は何かを投影してきました。横長のキャンバスに描きかけた図像には二本のタワーが何度か出てきてしまい、それが何故なのか自分の中には明確な答も上手な説明も出来ないな…と、何度も上から描き消しました。そして別な絵を出展しました。それは残念ながら私には重すぎるテーマであり、しっかりした動機も手法も持ち合わせていないからでした。
ニュースの中ではあのNYでの悲惨な映像を思い起こさせる形をした美術作品に対して「不謹慎」を理由に極力人の眼から遠ざけようとする悲しい力のあることを否定も肯定もせずに伝えていました。不謹慎とすること自体を問題とはしていましたが。
私はあの記憶やその後発生した数々の争いや「戦争」「テロ行為」をモチーフに据えた作品から眼を背けるべきではないと感じますし、そんな作品もあっていいと思います。が、それを作った作家である以上は作者自身の意志と信条において幾らかの説得力なり同調できそうな説明も期待しています。現代は芸術をその作者の主体的な思想や人間性から読みとく時代でもあるからです。おもしろ半分ではつき合えないテーマです。

二本のタワーの絵は消してしまい完成をみませんでしたが、小さな銅版画が出来ました。そこには先の尖ったような削れたような短くなった鉛筆のような形が最後に現れました。崩れる形とは見えないかもしれません。そんなものを描こうとした気持ちもありませんでした。最初はもっと高かったものをスクレーパーで削って短くしてしまいました。それはやはりあの映像を呼び起こすものにしたくないという弱腰な気持ちからでした。TVでしか知らないあの崩れ去る映像には何故か音声のない無音の記憶しかありません。しかし、あの建物の中とその周囲と、映像を介して見ている私たちの心には叫びとも嘆きともつかない「声」が鳴り渡りました。
私はその版画に「」というタイトルを付けました。

by aura-21 | 2001-11-23 01:31 | ART


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