2008年 04月 19日

弘前 展覧会

弘前へ。桜も咲誇り人の波ができる季節が始まったなっ、、、な週末。
桜は毎年の事なのに日本人には何かが刷り込まれているらしく、咲くとその下に集まる習性だ。ただ見上げている。最近は携帯とかデジカメで撮影する。日本には死蔵される桜の画像がたくさん眠っているに違いない。桜の花の満開の下にはそんな画像が眠っている。


田中屋画廊にて「中畑夕紀展 いよいよかるくなってきた」(4/17〜22)を見る。
数年前から知り合った若い女性作家さん。マイペースに制作と発表を続けている。
本人が下の喫茶室にいて笑顔で迎えてくれる。ひとり画廊へ。
こんなに軽くていいのだろうか、、、と不安にさせられる、、、その原因は何? それは作家側のことではなく多分こちら側が勝手に持っている何か先入観のようなものが作品との間に静かに摩擦を作っているからかもしれない。20歳以上も歳が離れているとどうしてもその辺が感心させられたり、受け入れがたかったりする。この「受け入れがたいこと」が新しいことに繋がっているはずだ。古びた世代にはそこがそのまま「受け付けられないこと」になって不自由しているんじゃないかな。いつもいつも若い人の作品に理解をしめす好々爺ではないつもりだが、継続して発表している人の作品には、だんだんと近づき教えられ受容できる部分がある。
自分の中のセンスというか直感というか、そういうものを最優先にして叩き付けるような衝動がエネルギッシュにある。軽さ(軽やかさ)はいつの時代も若さの特権で、2.30年前にも「若者の軽さ」を是としたり非としたり、取り上げられたものだ。本当に軽々と制作できるのはむずかしい。やれていることを簡単なことと誤って見過ごしてはいけない。
、、いや、そんな持って回ることもなく、軽い。軽いんです。その軽さが彼女の作品の魅力です。
喫茶室に戻り中畑さんとお話。幾つか自分で試したかった事は作品に持ち込んで作ったという。「自分の手帳の中身を曝すかのように作っている」のがパーツパーツではメモ描きだが、そのメモが他人の受け売りではない自分の中で掴んだメモなのが説得力になっているのか。見ためは非常に危うい、一見脆弱な感じをもってしまうのだが、芯の部分のしなやかさが気持ちいい展示だと思う。

田中屋喫茶室で中畑さんのいなくなった後も珈琲を飲んでお店のsさんと談笑。
M新聞とワンカップ酒の話に盛り上がる。sさんの横顔を垣間みた!(笑)



harappaにて「アオコン3」を見る。
こちらも若い方々。高橋由佳さん(弘前在住、陶芸・ドローイング)とninko ouzouさん(東京在住、ペインティング)。
高橋さん、器に絵付け。絵付けの部分が彼女の本領だろうか。器態は普通だが絵付けの脱力が作品を明るく引っ張っている。ninkoさん、山田スイッチさんが添えているキャプションを介してもうすこし作品に入り込めた感じ。思春期女性なたくさんの事を思う気持ちがこめられている絵は、解釈する見る側の感情が投影されやすいのか、理解が容易い分だけ心に入り易いようだ。奈良美智さんの描く子供のような受け止め易さ・入り込み易さを感じる。

今日は20〜30代初の女性作家を3人拝見。私にはまだひとくくりに見てしまう感じがするのだが(ninkoさんはキャリアのある分この3人の中では形式化しているように思えた)、制作キャリアが重なると、もっと独自性がはっきり際立ってくるんだろう。また変化した彼らの仕事を見る機会を楽しみに待ちたいと思う。

会場で大柳さんと久しぶりに会う。これから田中屋へも行くそうだ。そういえばここでのアオコン第1回目は大柳さんと中畑さんの2人展でしたね。東京(神田)でのグループ展が5月に入ってすぐにあるそうで現在制作中だそうだ。頑張れ〜!

人のことばかり言ってられない。自分も個展への秒読み段階でした。
頑張れ〜自分。
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by aura-21 | 2008-04-19 21:27 | 展覧会


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