AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2008年 07月 12日 ( 1 )


2008年 07月 12日

ジターヌ 美術について 古着

晴れ。


昼すこしして「ジターヌ」へ。展示してある拙作のちょっとした傾きを直す。
ジターヌのWebサイトURLが変更になった。
今度はネットから珈琲豆の購入も出来るそうです。

14時にtさんとhさんが揃っておみえに。
先日の個展で作品を求められたので、ここでお渡しする約束。
一緒にお茶をして話にも花を咲かせて。



青森市民美術展示館へ「鈴木義勝 水彩画展」をみる。
鈴木さん在廊。スーツでいつもビシッと決めています。
お茶を頂きいろいろ作家的なお話を交わす。
作品傾向は違うが、作品と生活を繋げて生きる姿勢は同じだと思う。実は以前はその傾向の違いが私も自分の態度に出てきていた。鈴木さんもその辺は感じていて「今は随分お話がしやすくなりましたよね」と指摘された。解っていたが(笑)。これは私にとって成長なのだろうか。たぶんそうだろう。セクト(なんて作る者の現場で本当に違いはあるのかどうかは解らないが)にこだわるよりも、その作品で生きる糧(人生にでも生活にでも)を探す姿勢では一緒の境地なのだということだろう。作品の中身の話はまた別なこと。話して見ると同感することばかり。


会場で中学の恩師にお会いした。私の仕事を見れる範囲でご覧になってくれているという。さかんに県展や市民美術展への参加を誘う。「大勢の中でもっと目立つ力を養わないとだめだ」とも言われる。「目立つ力」には何とも反論のしようがないのだが、(このような件について自分の意見は何度かこの日誌に書き込んでいるのだが)集団の中では掻き消される程の小さな声というのもあっていいのではないか、むしろそういうのもなければならない、、と思っている。大声の作品の全てがいい作品ではない。必要以上に力んだ声にはその内容が伴わないままおかしなことになっている、、と感じてもいる。
私には発表場所に組織や団体での展示・出品はあまり合わないのだと思っている。
幸いにも個展形式での展示・発表というやり方を選べる。そういうやり方もあっていいし、そうではないと産まれない表現や作品もあるのだと思う。声の大きさよりも、澄んで届く声。見る人の気持ちを単純な力技で振り向かせるやり方ではない方法をとりたいと思っている。
集団で展示してもそれがあればいいと思っているが、組織的になるとどうも忘れてしまう大切なものがあるように思えてならない。

最近は「現代美術」にこだわらない気持ちが強い。そしてあえて「現代美術」を名乗らない。世代に関係なく今日的な美術を模索実践している作家は多い。しかし俯瞰してみると明らかに「現代美術」の今日的な様相は見えるしどんどん広がっている。抽象画を描いたくらいで「現代美術です」とは とても言いがたい。
私は美術をやりたいだけです。


額屋さんに少し入金。まだ額代残金莫大!


夕食後に出歩く、うろうろうろろ、、、ツタヤで新刊購入 橋本 治著 「夜」 集英社。
DVDも2枚借りる。その後にリサイクルショップをハシゴ。
この夏はアロハを多用しようと物色。昨日も2着買ったが今日も2軒目の店で2着買う。
リサイクル品は安いし、すこしよれよれになってて着易いのがいい。今日も一日アロハで過ごしていた。一緒に古本「バカボンド」の1〜3巻を購入。

明日は函館へ行く。お盆である。
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by aura-21 | 2008-07-12 01:09 | ART