AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2010年 07月 02日 ( 1 )


2010年 07月 02日

不惑迷惑 作品

私は拙文を書く。
書く上での困難はたくさんある。

よく耳にはするのに使用する時に戸惑ってしまう言葉もある。
自分はその言葉をどう解釈しているのか。
「美術」「ART」「表現」「作品」、、、
文中に「美術」と書こうか「ART」と書こうか。
なるべくなら適材適所に使いたいが、曖昧に綴っていることもままある。
ではそれはどう違うのか。あるいはどう同じなのか。
書かれている文脈から推し量ってほしい気持ちもある。
使い分けている理由も根拠も解っていない。単に気分やイメージの問題か。
今後、使い分けるべきその意味の違いに気づいたときには使い分けたい。

「表現」という語も腑に落ちない、落ち着かない気分で使っている。
どんなものでも作ったら表現だろうか、、、この拙文もそうか?
発言や意見も表現か? 表現には違いないが、表現する側と表現される側(というものがあるかどうかわからないけれど)との間で、その辺の取り決め了承の約款もないのか。
表現の自由だ。選択の自由もある。
「自由」という語も、よく聞くがその国の歴史や世代で違っているからニュアンスも異なる。
困った。ぬかるむ。頭が悪い、、、、。

「作品」と「表現」とはセットで戸惑う。
表現したらすべて作品になるのだろうか?
作品が先か、表現が先か。
思いつき行動することが一番先にあるかもしれないけれど。
やってみたら思いつきと微妙に違ってきて、、、
作品は恣意的に表現のその先にあるものだろうか?
実感としてそうなのだが作品から表現そのものが逆照射されてもいる。
作っても隠すものはある。堂々と人前にさらすものもある。
前者は作品ではなくて後者は作品と呼んでいいのか。
その違いを自分の中でどう区別しているのか。
やはり単なる気分なのか。何なのか、、。
言葉を飲み込むときと、飲み込めないで吐露している時がある。
別に問題解決を望んでもいないし不惑でもある。
あるいは惑ってばかりのポーズで、鉄面皮に作ったものを晒している。

ついでに「美術家」という呼称にも。
恥ずかしそうに名乗っておいて「本当はそうじゃないんですけど」と心の中で迷い惑っている。
迷惑な話だ。




見せる見せないに関係するが、作品とは良くても悪くても批評とか評価の対象にされるべきだろう。
そうであらねば同好の趣味の域にも到達しえないものに成下がる。
より厳しい眼によって見られ批評されることを、作る(表現する?)側は求め望むべきだろう。
「作品」である為には安易に作り逃げ出来ない厳しい状況がある。
そうした眼に晒される覚悟とも呼べるものがない限り「作品」とは言えない。
自作に対して自戒をこめて、そう思っている。
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by aura-21 | 2010-07-02 11:55 | 雑感