AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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カテゴリ:ART( 421 )


2016年 07月 22日

斎藤義重「無十」

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斎藤義重さんの残されたノート(未発表)を可能な限り原文のまま1冊の本にした「無十」が手元に届きました。編者は千石英世さん。
義重先生も千石先生も私の通った「東京芸術専門学校 TSA」の先生でした。

2014年 逝去された ご子息の斎藤史門さんが来青した時、一緒に食事をしたり私の運転で酸ヶ湯温泉に行ったことが懐かしく、義重さんのことと重なって想い起こされます。


斎藤義重「無十」  千石英世:編
   4,500円+税    水声社

没後15年。新発見資料!
戦後日本を代表する現代美術家による未発表の日記体小説。
「無十」前後( 1945 - 57年 )の精細な日記、目録を付す。
 
 
 
 
 
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by aura-21 | 2016-07-22 22:00 | ART
2015年 06月 10日

All Creative Work Is Derivative 動画



All Creative Work Is Derivative
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by aura-21 | 2015-06-10 17:37 | ART
2014年 09月 18日

ロマン・オパルカ

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ロマン・オパルカ「無限への歩み」
Roman Opalka:Walking Towards Eternity
2014年 7月 1日 発行

著者:黒岩恭介
   ロマン・オパルカ
翻訳:スタン・アンダーソン
   黒岩恭介
編集:池田知枝美
協力:真武真喜子
   全128頁
価格:3,000円
発行:アキラ イケダギャラリー
   〒510-0257 三重県鈴鹿市東磯山 2丁目 31-1
印刷:株式会社タカダ印刷


学生時代にその作家の名前も記憶しないまま、しかし印象深くその作品と出逢った。数字を限りなく書き続けた紙がフロアーから膝の高さまで積上げられた作品。
アーティストの不思議な性向に驚かされた。同時に怖くもなった。
「終わりの見えない」ということは「作家」として生き続けるかぎり 向き合わなければならない宿命である。むしろ方向性への確信しか、その作家には選択できないのかもしれない。

思えばその作家がロマン・オパルカだったのか。

現在 九州造形短期大学学長をされている黒岩恭介氏からそのオパルカに関する氏の著書が届いた。
ありがとうございます。拝読させていただきます。



真武真喜子さんからのメール一部転載追記します (2014/10/15):

「昨年、九州造形短期大学の学長に就任、QMACでもトークをお願いしたことのある黒岩恭介さんの新著が刊行されました。無限に続く数字をキャンバスにただ描いてきたロマン・オパルカの作品論「ロマン・オパルカ 無限への歩み」です。オパルカの永遠に完成することがない絵画のシリーズは作者自身の死をもってしか終わることはなかったのですが、なんとこのテキスト執筆中にオパルカの訃報が発表されたという劇的なものとなりました。オパルカの死は2011年ですから、それにしては刊行までの年月がかかり過ぎの感がありますが、著作権が遺族のもとに移行したのに伴い、さかざまな手続きに時間を要したようです。
内容はそのオパルカ論「ロマン・オパルカ 無限への歩みー死、恩寵、そして完結」に加え,オパルカ自身のフランス語による著述「7を七回重ねた7777777の地平」が黒岩さんの翻訳で収録されています。日本語テキストの英訳とオパルカ著述の仏語原文、三ヶ国語による書となっています。」

Operation Table / QMAC にて取扱中。




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by aura-21 | 2014-09-18 12:19 | ART
2012年 07月 14日

お祝い

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野坂徹夫さんは青森市在住の美術家。その水彩画にはファンも多く国内外で個展を開いている。
水彩画以外の表現方法でもまたオリジナリティーある素敵な作品をつくる作家。

その野坂さんがこの4月から「青森公立大学 国際芸術センター青森」の館長に就任されました。
毎年末に青森市内のNOVITAで開催されている「あかりのありか展」には初回から参加されている関係で「あかりのありか」メンバーで呼びかけ合って就任祝いを青森市内のグラナダというお店で行いました。

お忙しい野坂さんの日程に合わせての開催。残念ながらメンバー全員が集まれなかったものの、みなさん館長に期待する祝辞を寄せての数時間を過ごしました。


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by aura-21 | 2012-07-14 23:45 | ART
2011年 05月 28日

クロッキー

午後から五拾壱番館へ。

一階のギャラリーでは「どろへい窯 陶芸展」開催中。

昨年末には二階から上閉めてしまいました。
残念です。市街地のアート&喫茶の老舗がフェードアウトしかかっています。
一階の画廊も今年いっぱいで閉廊すると伺いました。残念です。
こうした施設は運営されにくい時代なのでしょうか。
何なんでしょう。


今日と明日は「裸婦クロッキー会」が三階のアトリエで開催されます。
世話人のひとりHさんからのご連絡で、私も今日だけですが、久しぶりにクロッキー帳と鉛筆を持って伺いました。
今回のクロッキー会の参加者のために5ヶ月ぶりに二階の「喫茶ぴなこった」も特別に開いていました。


や〜、対象を目の前にしてそれを素早く写し取る作業、久しぶりの報われない苦労でした。
巧くいきません。手とか頭とか目が追いつかなくなっているのでしょうか。
いや感覚とかセンスとかもだいぶ錆びてきてイケナイです。
こういう修行はちょっと怠るとすぐに後退します。
訓練の賜物であったりする描写という技術は「日々鍛錬」とか「日々修行」という、一見時代錯誤にも思われる平常の積み重ねの上に「なんとか」成り立ってあります。これまで美術の領域で欠かせないコンテンツ(アカデミズムでは避けて通れない)であるこうした描写力の修練が、時代と共にダンダンに軽んじられる傾向があるようにも感じる昨今です。
今でも絵を描く人はたくさんいますが、その多くが対象の人体とか静物を具象的に写実的に描かなくなくなってきているのでしょうか。そのすべてではありませんし、巧みな描写力で描いた素晴らしい仕事もたくさんありますが、なんだかそういう感じが拭えません。
まぁ、私も普段の制作ではまったくといっていいほどに対象のない自家中毒的な絵(版画)を作っていますから、たいそうなことは言えません。自分でも「本当に大丈夫なのか」と心配になるほどに、軽佻浮薄状態に迷い込んでいるのです。
葛藤はあります。
誰にもワカラナイ(自分でもよく解らない)葛藤です。
葛藤と呼んではいけないような、まぁ、、逡巡ですかね。
話が脱線しました。閑話休題。

自戒も含めて、同時に自分の絵が浅くならないように(浅い事が善か悪かも迷いますが)たくさんのためらい傷を内包したかのような「1本の線」を引きたいがため、対象を追う描写修行の機会も何か足しになると信じて(この辺がもうノスタルジックなのかなぁ)、温故知新です。
きっと歴史ある事象には意味とか意義があるはずです。
とかなんとか理由をつけて裸婦に向います。
でも、本当に対象の輪郭とかフォルムとかマッスとかバルールとかが必要になってきたその瞬間には、かくも必死な感じになるものだ、と思いました。
5分とか2分とかのシュンサツものの描画にさえも個人的には「挫折」の連続です。
まぁ、挫折は必要ですから、時々こうした真っ当な挫折の機会を感謝しなくてはいけません。

新しく準備したクロッキー帳2冊は悲惨な記録をとどめる結果となりました。

モデルさん、ごめんなさいね。






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by aura-21 | 2011-05-28 22:56 | ART
2011年 05月 20日

「鈴木正治」作品集

《鈴木正治と「わ」の会》 三野様より
「鈴木正治 青森のタカラモノ」
という、鈴木さんの作品集を頂戴しました。

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[上記2点のページは撮影:日置武晴氏]
「本作品集の発刊にあたり、《鈴木正治と「わ」の会》に対し、平成22年度 青い森ファンド(公益信託青森県ボランティア基金)の助成を受け」発刊されたこの作品集のことは人づてに話は聞いておりましたが、素敵に完成されたようです。
わざわざお送り頂き本当にありがとうございます。

私が青森に帰ってきて出会う地元作家の中でも、世代を超えて慕われ愛されている不思議な仙人のような作家が鈴木さんでした。その鈴木さんが2008年春に亡くなって丸3年が過ぎました。亡くなる前から彼の周囲に集まっていた作家や応援者によって出来た「わの会」や仲間によるこの作品集。彼の作品をもっと市民の中に溶け込ませたいという想いが籠った作品集となっているようです。
表紙の手触りもなんだかしっとりとしてベルベットな意匠を施しています。
掲載されている作品写真。版画や水墨などの平面作品はデータとして精確に撮られ[撮影:三澤 章氏]、立体作品は風景の中、人々の生活の中にそっと置かれた微笑ましい写真となっています。
それらの視線はまさに鈴木作品を愛玩するようです。

封筒を開けて最初にこの作品集をみた時に「青森のタカラモノ」というカタカナを「青森のワスレモノ」と誤読してしまいました。作家本人が去って「ポツン」と残った造形を、たくさんの人が優しい気持ちで遊んでいるように思えたからです。ワスレモノがタカラモノやナクテハナラナイモノに変わることこそ、作品を作り、それを人の心の中に置いて、そっと何処かへ立ち去って行く。作家にとってそれはきっと嬉しいことに違いありません。
また、そういう人物であった鈴木さんの人柄も、作品の一部なのでしょう。





個展準備中。今日また2点を刷る。



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by aura-21 | 2011-05-20 17:25 | ART
2011年 03月 08日

世代

このところ何もしないでネット三昧。
何もしないのではなくネットばかりしているということなんだけれど、きっぱり「非生産的」。
きっぱり書くと、なんだが とほほな気分だ。

新しく参加したアート・クリエィティブ・カルチャーに特化したイベントSNS「CJキューブ
に過去作品の画像をアップしている。
「見てください」である。露出癖である。使い回しである。再利用と言うべきか。
制作者は「見てもらってなんぼ」であるから、機会は利用するべきなんだなぁ。

このSNSを利用している世代は若い。
美術作家はディケイド毎に次々と顔ぶれが入れ替わるかのようだ。
芸能界以上に認知される前に何処かに消えてしまうかのよう。神隠し。
「知ってる人だけ知っている」ような美術業界のニュースでしかその動向は見えない。
いや、見てたとしても分かりづらい。
例えば「80年代活躍した美術家」といってもほとんどの人にはその顔や作品は思い浮かばないのではないだろうか。
芸能界的浮き沈みどころか、いつ浮かんだのかのその瞬間すら知られずにスルーされる。認知される前にミンチにされる。ミンチ、、咀嚼ではなくすり切れて消えるよう。
そうした美術業界なので、今の若い人だって必死。
、、、何を書きたかったんだっけ。
そうそう、老兵は死なない。老兵と書くともう死ぬか死んでるようなニュアンスかな。
アートが必ずしも若描きだけに意味があるわけでもない筈、、と思いたい。
そういう年齢に達してやっと自己表現を披瀝し描ける作家という人も中にはあろうかと、、自己弁護的に思う。

上記SNSを覗いていると現在の若い人のことも見えてくる。「現在美術」ね。
ファインアートの意味もすこしづつ変遷していることに気づく。
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by aura-21 | 2011-03-08 23:25 | ART
2010年 10月 29日

宮城 登米市 鳴子温泉

朝9時に出発。高速道路を宮城県は登米市に向いナビに従って走る。
南下するに従ってお天気は晴れてきました。

先日見て廻れなかった「登米アートトリエンナーレ」は幾何学的抽象の作品展。その展覧会を見たくてまた宮城まで行った。
野外や屋内など登米のあちこちに点在しているそうだが全部廻れるだろうか。



14時過ぎて第一現場「歴史博物館」到着。

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高山登氏他の作品ほかを見る。作品に向ける視線と観光的視線とは違うので気分が分裂する。欲張ってしまう。作品は普段から見慣れた場所にあった方が集中してじっくり見れるもの。高山作品の奥にある旧家の方に関心が向いてしまう。まぁ開放されていなかったのですぐ作品に視線は戻りましたが。


登米祝祭劇場で斎藤史門さんの作品他を見つける。



水の中に建っている。その彩りのカラフルさは昔見た史門さんの作品とは違って見えたのでキャプションを見てすこし意外な感じも。会場の建物は新しい文化施設。外側に向って階段の観客席がある構造も面白い。展示がすべて建物の外周にあり館内も行ったその時には閉まっているようだ。
最近の建築に多く取り入れられている浅いプール。
その水の中に置かれた作品と芝の方に置かれた作品。


石ノ森章太郎ふるさと記念館周辺で数カ所探して歩く。
空き店舗内を使っての展示は昨年の「アート@つちざわ」でもある展示場形式。ところどころ空いている店舗やそれに準じている場所を管理者との交渉で期限付きで借りるのだが、展示が終わるとまた元に戻って風が吹き抜けてゆくのだろうか。

その後にすこし離れた空地に立つ守屋行彬さんの作品を見る。

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道路を挟んで仮面ライダーV3がその勇姿を見せている。
その向こうの空地にストライプのテントのように立っている作品。



マサルサトウアートミュージアムへ。
トリエンナーレ担当の中嶋さんが館内を案内してくれました。ありがとう。


あとまだ2カ所ある施設まで向うが宵闇がせまり断念。
今夜の宿に予約していた「ゆさや旅館」は鳴子温泉郷にあるのあが、登米との位置関係をよく理解していなかったようだ。ここから1時間半以上はかかるようだ。夕食の時間もある。やはり残念だがアートツアーはこの時間で断念せざるおえない。宵闇が迫る。でもまだ17時を廻ったあたりなのだが、、、。




「ゆさや旅館」なんとか夕食に間に合う時間に着けたか。
食事前に貸切露天風呂「茜の湯」へ。東屋風な造りでもう周囲は闇。眼下に鳴子のホテルが建ち並び窓の明かりが遠望できる。風景はその点灯する窓ばかり。
のんびりと一人温い湯に身体を延ばす。

19時から食事。

21時まで内湯「うなぎ湯」が男性の使える時間帯。
早速入る こちらもなんだか温いなぁ。わざとそうした温度かと思ったが他のお客も温い事を指摘。逆に女湯の方はかなり熱いようだ。


旅館の隣「滝の湯」は硫黄泉(酸性)。そして鳴子でももっとも古い温泉とか。
奥が温めで手前が熱い。熱い湯にしっかり浸かってくる。
今夜しか湯をハシゴする時間がないのが残念。

寝る前にもう一度男湯と女湯が入れ替わった時間帯に小さい湯殿のほうへ。確かに熱いな。

髪を乾かし部屋に戻り、部屋に備え付けの冷蔵庫からビールを出して飲む。
「鳴子の風」という山ぶどうから作った発泡酒は(甘口だが)おいしいな。
鬼首(オニコウベ)という会社で作っているそうだ。明日、土産に買って帰ろう。
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by aura-21 | 2010-10-29 23:00 | ART
2010年 10月 14日

表現される現在2010 ゼロイスト宣言in仙台 個展も3日目

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表現される現在2010
ゼロイスト宣言 in 仙台



石川雷太  今村 仁  古賀 飛  小島 昇
関本欣哉  橋本尚恣  葉緑素為吉

2010年 10月15日(金)~ 20日(水)
10:00 - 19:00 (最終日は17:00まで)

せんだいメディアテーク 5階ギャラリー a 2
〒980-0821 仙台市青葉区春日町 2-1
TEL. 022-713-3171  FAX. 022-713-4482















朝9時から「表現される現在2010 ゼロイスト宣言in仙台」の搬入でせんだいメディアテークsmtへ。
東京から葉緑素さん、今村さん、小島さん、石川さん来仙。
石川さんは昨夜到着し新しくできる画廊「TURNAROUND」での個展で展示作業が深夜4時を廻ったそうです。おつかれさまです。

私はSARPの開く11時までの間に展示作業を少しだけしてまた個展に戻りました。
夜にまた仕上げのためにsmtに向いますよ。






葉緑素さんの展示作業動画。

個展会場へ戻る。




17日にはトークショーもあります。

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トーク イベント
「東京→仙台 アートシフトの未来」
10月17日(日) 16:30 ~ 同会場にて
佐藤 達(作家)
千石英世(立教大学 文学部 教授 アメリカ文学 比較文学専攻)
新田秀樹(宮城教育大学 教授 仙台視覚芸術振興ネットワークSCAN コーディネーター)
  



 

 











主催・企画:TSA ANNUAL 2010 実行委員会(ターンアラウンド 内)
助成:(財)仙台市市民文化事業団
後援:(財)宮城県文化振興財団
協力:ターンアラウンド、朋優学院高等学校







個展終了後にsmtへ。
展示終了。腹減った。
石川さん、義村さん、古賀さん、小島さん、関本さんと「太助」で牛タン定食。軽くビールで喉を潤す。
外は霧雨。ホテルへ。
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by aura-21 | 2010-10-14 23:45 | ART
2010年 09月 27日

昨日の彫刻

猛暑連続のこの夏はタオルケットだけでも寝苦しい日々でした。
夕べはずいぶんと寒くなり久しぶりに布団を出して寝ました。
今朝は冷えたようです。正解でした。




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昨日の墓参りに行く道で、同じ造形を繰り返している風景に出逢った。

版画は同じ版からほぼ同じものを何点も作る事ができる。
それは版画の特徴と言えるけれども、普段の日常を見回すと工業製品として同じものが同じクオリティを目的としてたくさんあることに気づく。

作り方の問題ではなさそうだ。
版画の方が同じ型で量産してても、作りすぎることが無駄になっていないか心配になってくる。
紙は露天で放置も出来ず、保管場所に手間がかかり過ぎるし。
この石のような強度のある素材にすこし憧れてしまいます。

この石の彫刻は型に流し込んで作っているものでもないので、よく見るとひとつひとつ表情が違う。そうした意味では版画とも工業製品のようなマス-プロダクションとも違うのだけれど、同じものを作ろうとしてひとつのお手本形が型のように先行してあるようだ。
微妙な作り手の癖のように表情や顔に避けられない特徴が滲みでるけれど、それは過去の形式にまぎれて、ほぼ同じもののようにも見える。同じであろうとするような意志さえ感じる。

作家の創造もその作家の作品を誰が見ても「あっあの作家の作品だ」と見分けられるとしたら、それはその作家の個性であり特徴であるだろう。その作家の未発表で初見であっても、現れる手技やテーマや様式からその作家を特定できるとすれば、「手技やテーマや様式」はもうスタイルである。スタイルがもう既にある時には場合に寄っては既視感も未発表も関係なくなってきそうだ。
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by aura-21 | 2010-09-27 22:22 | ART