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2001年 06月 30日

展覧会

快晴。今日も暑くなりそうです。
そろそろ乾かすためにパネル張りしていた版画を剥がして完成を急ごうごうごうごう…


街へ展覧会を見に出かける。
青森市民美術展示館では「あおもり国展」。今回は岩井康頼さん(弘大教授)が出品していなかった。このひと月ほど韓国の方に行っているようだ…と会場にいた友人が言う。どうりで最近私用があって岩井さん宅にFAXをしても連絡がとれなかったはず。忙しさのせいかと思っていたが、その頃からもう韓国中だったのでしょうか? 自宅ではプレス機が小さくて刷れないサイズの銅版画を弘大の版画室で摺らせてもらえないか…という誠に勝手なお願いをしようと思っていました。てへへっ。



県立郷土館では「花見 宴展」……はなみうたげ、という作家の個展。
作品は一見色彩構成的風景画。なんだろう…絵具の皮膜の下に精神として不思議なものが塗り込められてある。青森市出身。おもしろい略歴。1960年生まれ。上京後渡欧前に描かれたものすべてを破棄し4年ほどスペインやポルトガルにて制作。帰国後5年間絵もあまり描かず読書三昧…93年からの活動再開…銀座 牧神画廊での個展中心の発表。青森では初の展覧会。
会場に並ぶ20号から30号の作品は例えは変かもしれないが熊谷守一の絵を思い起こさせる。内側に抱える荒々しさが逆に風景を見る眼に優しさをたたえるような…。
私には5年間の休筆以前の作品に一番強く惹かれるものを感じた。何故かその作品群だけが会場のちょっと柱の陰になるような場所に並んでいた。渡欧中の風景や静物。筆の先から迸る不安感と自信(恍惚と不安なら太宰だな…)の両方が垣間見え伝わってくる気がした。
「私は現実以外描かない。それ以外の物は私にとっては堕落だから…」花見氏の言葉が、もらったリーフレットの記事にあった。
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by aura-21 | 2001-06-30 17:00 | ART
2001年 06月 29日

挑戦する美術館建築

午後から「新世紀への提案-挑戦する美術館建築」。
青森県立美術館館長予定者 黒岩恭介氏の設計コンペ概要の話から設計者 青木淳氏による「設計プレゼン」。学芸員 立木祥一郎氏司会で黒岩氏、青木氏、ほか、岡部あおみ氏(武蔵野美術大学教授)、高樋 忍氏(一級建築士 青森市在住)による「シンポジウム」。
アウガ5階ホールへ。
本当は午後から版画教室の日だったが「自習(自摺?)」ということにして教室を抜けさせてもらった。


三内丸山の縄文遺跡発掘時のトレンチ(溝)からヒントを得たという最初の構造スケッチ。そこからホワイトキューブ以外にも土という素材を壁面や床面に使った展示空間。今年3月に基本設計が出来た段階だが、期待が膨らむ美術館になりそうです。おとなしく無難な選択を敢てやめていることが逆に未来に期待を持たせ膨らませている…ということでしょうか。予測のつく舵取りは目的地が出発前に見え過ぎる帰来があります。出来上がってからも「手こずる?」ことのほうが、美術を美術として継続させえる鍵かもしれません。


シンポジウムでは友人の 高樋 忍さん(一級建築士)もテーブルについていました。ほかのパネラーが美術関係に深い人たちだった分、高樋さんの「美術館を使うのは学芸員なのか?まず作品の為にあるべき空間が美術館なのではないの?」というような誘い水に、青木氏 黒岩氏が答えることで後半にちょっと活気づき弾んだ会話になった感じでした。(知らないふりして?)尋ねる方が話を引きだせる場合ってある…彼らの口調が易しくわかりやすい話方にもなってた…と思います。
4時半に終って版画教室に飛んで帰りました。
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by aura-21 | 2001-06-29 16:59 | ART
2001年 06月 28日

評価

きょうも暑くなった。全県25度を越えるとか…版画教室アジ〜ッ。


他国で高く評価されると逆輸入的に自国や地元での評価が急に高まることはよく聞く。
もっとドメスティックに地元の偏見とか主観で決めて良いのじゃないか?、、と思えるのだが。 外国で評価されようとそんなの関係ないよ!「わしらにゃ〜わしらの〜評価があるんじゃ〜」っていう位にさ〜。他の(美)意識への尊重や配慮、交流的な配慮というのもいいけれどもさ〜。
……これはもちろん極論というか比喩なんだけどね。つまりは受け手としてももっと主体をハッキリ持って、主張できる価値観を獲得しようよ!…という話なんだけどさ。
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by aura-21 | 2001-06-28 16:56 | 雑感
2001年 06月 27日

所属

忘れる作業…というと大袈裟だが、全てのことを完全に記憶したまま生きていくというのは困難だろう。
映画監督小栗康平氏が「抽象への道筋」という短いエッセイで書いている。「…忘れることで私たちは生きていけるといったほうがいい。そう考えると、抽象への道筋は思うほどに難しいものではない。私たちは誰でも、忘れることでなにかを省き、なにかを残して生きている。そうすることで、初めて全体につらなる。…」
物忘れの激しい私の我田引水な引用に聞こえたら……ん〜図星です。



「所属」という項目がある。美術では所属団体を記入する項目がいまだにあることに驚かされる。地方ではしょうがないのか。特別にはっきりした所属する団体がない場合は「無所属」と書かれる。政治団体でもあるまいし…である。私は常々「美術に属したい」とは思っている。細分化されながら現在ではその差異もはっきりしない「所属団体」を名乗ることにどんな意味があるというのだろう。まして、所属団体を聞かされた方にしても、その団体がいったい何をしてきたのか、どういうスローガン(というのも古臭い?)で活動してきたのかすら解らない…というか知ったことじゃない?…だろう。そこの会員だ会友だというのもサラリーマンが係長だ課長だと役職をこだわるのと同じように思える。その組織の中でしか意味はなさそうだ。もう、こんなことを表記することは止めようじゃあ〜りませんか?
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by aura-21 | 2001-06-27 16:55
2001年 06月 26日

蒸し暑い

昨日、今日と蒸し暑い。1階は涼しいのだが、2階の仕事場にいると汗だくになる。我家だけかと思ったら今日 版画教室に来ていた秋元さんのお宅もそうだという。中二階で生活すればちょうどいい?


昨日図書館で借りてきた本のひとつが自分で所有しているものと同じだった。持ってる本を借りて来るとは…「ぼけぼけ〜」である。完全にどうかしている? 同じ本を何度読み返してもその都度初めて読むような気分でいるのだろうか…それは記憶喪失??。
しかし「愛読書」というのは何度も読み返す本を指すのだろうか。
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by aura-21 | 2001-06-26 16:53 | 想い出
2001年 06月 25日

PC

IT時代の波に乗り遅れまいと無理をしてPCを使っているのもシンドイだろう。私は携帯電話を持っていない。外出先まで連絡が入る生活をしていないから。PCを使っててもやることはこのHPの管理と簡単なプリント、Webを見たりMailを送受信するなど主機能しか使っていない。あまりに複雑なことは…嫌だ。機能型式が古いことを開き直っている…と受け取ってもらって結構〜


図書館へ延滞していた本の返却。なんだか繁華街へ出かけるのも久しぶりな気分。



ARIA「木村優子展」と西衡器ギャラリー「柳谷俊彦展 Part.2」を見る。
美術専門の学校を通過した者のみが絵を描くというわけではない。描きたいもの作りたいものがあって始まる。そして実作者にとっていつか「始まり」や出発点は振り返っても意味のあることではなくなるのではないか。いつも今作り続けている現場にこそ意味が生まれるのだから。
木村さんは銅版画の体験に当教室へも昨年来られた。今回の個展ではアッサンブラージュを展示。数年前の作品から今年の新作まで8点ほど。アッサンブラージュではレディーメイドな素材を使うため素材選びがポイント。誰もが見慣れた素材を自分のものに生まれ変わらせるのは結構むずかしい。うまく自分のものにして楽しくやっている感じがした。
柳谷さんは油絵タブロー。前期「Poetry」に続き後期「The Letter」がサブタイトル。絵の中に表意文字としての漢字が形を変えて描かれている。けっして書ではない。漢字や文字を素材にしたペインティング。パスキアやフランシスコ・クレメンテなど、ひと頃「不安の影の具現化」が多くの若き美術家にとって惹かれた時代があったが…。多分それはいつまでも脱出できるものではないかもしれない。影響というのは本人が思う以上に深く根をおろしている。色彩のセンスは見る人を誘い込んでいる。いささかテクスチャー(マチエール)に物足りなさを感じるのは私が悪い意味で美術の学校に通ってしまったことの弊害だろうか。作者は細かなテクスチャーにこだわる前に駆け足でエネルギーを放散している。
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by aura-21 | 2001-06-25 16:52 | パソコン
2001年 06月 24日

ここまで読み返してもなんだかワカラン

昨日の運転の疲れが少し出たようで昼近くまで寝ていた。
しかし、昨夜は1時頃に帰り着いてビールを飲みながら深夜テレビの映画を3時過ぎまで見ていた…のもある…か?


1日おいて今日も版画の刷りの続き。そろそろ完成を目指そうか。普段よく使う紙とは別なものを使った。「ムーランドユゲ」コットン100%の粗めの紙 270g。


時々この「Diary Aquatint」過去のものを読み返してみるのだが、いったい何が言いたくて何のつもりで書留めたのか解らない文章に出逢う。まったく……自分で書いたのに…。たま〜に推敲し加筆修正。
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by aura-21 | 2001-06-24 16:49
2001年 06月 23日

盛岡へ

車で盛岡へ。
戸村茂樹さん、百瀬 寿さん、小野嵜拓哉さんの各個展が開催中。
9時過ぎに国道4号線を南下。土曜の行楽で車も多い。寄道…東北町の「日本中央の碑 保存館」を覗く。いつもこの前を通る度に気になっていた。片側一車線の工事にも数回出会い盛岡到着は14時をまわっていた。
ギャラリー彩園子で小野嵜さんの版画展。大学卒業後「三戸町立現代版画研究所」の助手を務め、昨年から花巻の実家で作家活動にはいった25才の若手。プレス機サイズが私と同じなので小品でしたが同サイズに統一した作品展時。黒インクと黄インクのそれぞれ単色版。銅版画独自の線の細密さを忠実に刷り取る技術は本人も自信ありげ、しかし、逆に作品としてのコンセプトが伝わるのであれば過剰な技術研鑽にのめり込むことも不必要なのでは…と自身語っていた。


岩渕俊彦さんの「紙町銅版画工房」を見学。通りに面した見つけやすい場所。版画の刷りは各自が工夫して編出している部分も多い。参考になる工夫…情報交換もあっていいかな。思えば学生時代に版画室では自分から技術の意見コウカンということはなかったな…先輩から教わったままをなぞっていただけだった。


戸村さん(MORIOKA第一画廊)と百瀬さん(クリスタル画廊)それぞれ在廊されていた。戸村さんは今日が最終日。会場では偶然に盛岡時代の久しぶりの顔にも会えた。杉本吉武さん、伊藤先生、福井先生、長谷川さん…変らなかったり変ってたり…もう、20年以上過ぎたものな〜作品展以上にしばらくぶりの人との出会いの方がいろいろ考えさせられたか …?
戸村さんとも版画の刷りや紙の種類についての参考意見をもらった。使用するのに注意するべき技法や紙質がある。80年代の酸性紙から最近は中性紙へ移行している。かびや変色が数年で起っては作品所有者からのクレームにも繋がる。まず第一に制作者自身が悲しい気分になるだろう。
百瀬さんの作品は純金・純銀の箔を使った作品。百瀬さんも変色に懲りて洋箔(真鍮箔など)から純金箔の使用に変えた…と話してくれました。経年変化は避けられないことかもしれませんが、遅らせることが可能であるならば、その手は打っておくべきでしょう。そういった技法、智恵は押さえておくべきだと感じました。
戸村さん曰く「最終的には何か絵に起った時に専門の修復技術で直してもらえるような良い作品を作ることが1番なんですよ。」


彩園子に戻りオーナーの村井さんと9時ころまで談話。画廊の方では来週の作家が搬入中でもあり2階の喫茶室でゆっくり。(このあと日帰りの予定だったのでゆっくり…もアルコールなしです)
先週亡くなった斎藤義重さんは村井さんにとっても多摩美時代の恩師でした。急な知らせでやはり葬儀に参列できなかったことを残念に語っていました。
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by aura-21 | 2001-06-23 16:46
2001年 06月 22日

講座

折り込み広告には生涯学習や趣味の講座の案内がよく入っている。
各種講座や教室などには一見創造的なジャンルも数多いのだが、それらを始めてすぐ簡単に発表(個展・グループ展)をしているケースもあるようだ。何でも始めることはいいことだ。むずかしいのは継続することであり上を目指すことだろう。(何が「上」かも個人差…)
創造的な講座やその受講者が多いことは一見表現や創造の裾野が拡がっていることとも受け取れる。が、継続してもっとその上を目指す努力や意志がないと裾野ばかりが広くて高い山のない状況になってしまう。「趣味的」から脱出することは孤高な山を目指すことではないだろうか。客観的に高い山やなだらかな山を俯瞰しているのであれば、いろいろな形があっていいのだろう。でも自分が汗を流しその山に分け入る登山者であるならば、気楽な山には気楽な喜びしかないだろう。
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by aura-21 | 2001-06-22 16:48
2001年 06月 21日

我流/画流

晴れ。雨上がりの空気の澄んだ気持ちよい日だ。


最後の一筆でどうにもならなかった絵がなんとか救われたり、引き締まってきたりする。「画竜点晴」ということはあるのだろう。〆きりのぎりぎりまで絵を弄っているのはその最後の画竜点晴の起死回生があることを信じてやっているからかもしれない。実際には訣別的完成は諦念によるものだが…

その絵のバックグラウンドを思う。描かれたものや描いた人のそのバックグラウンド。時に風土と呼び、時にアイデンティティに繋がり、そして次世代の新しい流れに直結してゆく大きな「ウラヅケ」。そこにあるのに気づかないもの、表面に出ていて見えないもの。不偏でありながらも遍在しているもの。
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by aura-21 | 2001-06-21 16:43