AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2001年 07月 31日

佐吉 韓国より

昨夜から強い雨。日中もずっと雨模様。
午後五時に小倉ミキさん宅を訪ねる。佐吉プロジェクトメンバーの田中さんと一緒にお借りしていた写真をお返しに。ご主人の小倉三生さんとお二人でお待ちになっていた。
話題は古建築から銅版画、美術と他方面に拡がりました。青森第五連隊の建築物が青森高校として使われていた時に従兄の方が教員を勤められていた関係で三生さんは校舎をご存じでした。やはり自衛隊内に移築されたものは士官クラスが使っていたものではないでしょうか…とお話されていたが。1時間半ほどお邪魔してくる。
田中さん小野さん能登谷さんらとお茶をしながら軽いミーティング。


夜、韓国の辛 惠英さんより電話。東京に来ているそうだ。28日郡山、29日いわき市…と「風いのちのうた」(創造現場/第39回風の祭り 美術+音楽+文学のコラボレーション)でイラストレーター 沢田としきさんらとの公演を終え、東京で久方ぶりの休暇とか。テレカが切れるまで、お互いが片言ながらの日本語…私まで片言日本語に…。教科書問題の余波は確かに存在することですが、「我々は民間」…とおっしゃられた。乗り越えたいものですね。お互いに深く言及するには語学も稚拙な状況でした。
お電話をありがとう。
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by aura-21 | 2001-07-31 23:59
2001年 07月 30日

チンピラ

先週友人の作家と飲みながら…
彼は自分自身を「チンピラ」と言った。何処かの大作家でもなく単なる「チンピラ」に過ぎないのです…と言った。作家は時に自分の存在やその作るものがこの世の中でいかにか弱く意味も無い無名で混沌としたもので、さぁどうぞ…と手渡すには余りに希薄なその存在に恐怖する時がある。そして、そう思うくらいで丁度いいのだ…と話す。決して作るその瞬間からそんなに気弱になってしまうものでは勿論ない。それも解っている。
私も自分や自分の作ったものが「虫けら」位にしか感じられなくなる瞬間がある。いつもいつも好戦的に作っているわけでもない。世界のほんの片隅の小さなものでしかなくなる「自分」を自覚している事を、我々は誇りにして…酒を飲んだ。
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by aura-21 | 2001-07-30 23:57
2001年 07月 29日

ガーデンパーティ

このところ涼しく、夜などはすこし寒いくらい。


CD-Rの書き込みが上手くいかない。マニュアルを読むのも辛いですね。ハードディスクにはデジカメ画像がどんどん溜るいっぽうだ。


午後から太田美術教室 主宰の太田美知さん宅でガーデンパーティ。
以前、夜にお邪魔したことはありました、こんな広い庭があったんですね。
10数人の方々ともども楽しい時間を過ごさせて頂きました。
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by aura-21 | 2001-07-29 23:56
2001年 07月 28日

団体展

市内では公募団体展の青森支部展が2つ開催されていた。


ひとつは10回目を迎えて「記念展」と銘打ち開催。今回でこの支部展は終了し、来年からは東京に会場を移し再度メンバーを構成しなおして続けるそうだ。もともと上野の分派のような支部展をまた東京で開催することの思惑は地方在住作家群のもっと中央で発表したいという欲求だろう。しかし相変わらず徒党を組んでの行進。徒党は何処にいってもかわり映えを見せないのではないか…本当は個人として出て発表してゆくことを優先したいはずではないか。ついつい集まる…理念もかかげず?


もうひとつの支部展の会場ではひとり留守番で居た出品作家の某君が私と高校が同窓ということで20分ほど会話。実は多くの参加作家はまだまだ完成系ではない。関わる世代が広い分だけ共通の話題、噛み合う話題もなさそうだ。むしろ制作上で頭をもたげる問題意識をお互いに語り合いぶつけ合うことを欲しているはずなのに、いつの頃からか「話す場」のないことから話す行為や意志すら消失してしまったのではないだろうか。多くは話を向けると表現者の思想を口にするものだ。私もそれに触発されて次ぎの言葉を見つけて吐き出す。話して解る仕事の部分もあるし、話されることで見えなくなる部分も実際ある。しかし制作における議論や意見も出せない集まりでは徒党を組んでいる意味はここでもやはり見いだせない。むしろ「会話」の先には考え方の違いが際立ち「徒党の分裂」という危機があることを知っているのだろう。ひとりぼっちになることが恐いのだろうか…。


午後から従兄の3回忌。ビールを幾分 飲み過ぎた。
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by aura-21 | 2001-07-28 23:55
2001年 07月 27日

クロッキーの会

快晴。東京方面の方々から届くメールにはこの二週間が熱帯と化した都会の惨状が書き連ねてあった(?)。


太田美術教室の太田さんから電話。ガーデンパーティのお誘い…ノル!


午後から五拾壱番館3階で「クロッキーの会」あり。
仙台のモデル事務所から地元の有志がモデルさんを呼び参加者を募った。日曜日までの3日間。久しぶりの裸婦クロッキーです。2〜10分のポーズ。日頃ものを見て描くこともなく、必要に迫られて…というよりも、いろんなモチーフへのアプローチ かな…たんに裸の女性を見たい…とか? でもあわただしいですね、2分のポーズとかは。ほとんど自分の線描力のレストアみたいなもの? もともとヘタクソでヘニョヘニョでヘナチョコなのですが。ちょっと学生時代に戻ったような感覚でした。私は今日しか参加出来ない。

告知欄に盛岡 Gallery 彩園子で開催の小笠原卓雄展を記載。

クロッキーの帰りに通った路地、近くの町内会で出した子どもネブタが運行していた。ネブタ祭の前哨戦とはいいながら、こうしただんだんと少なくなる町内会有志の子どもネブタが素朴に自分達の祭りを維持している。すっかり観光化した「ネブタ祭り」だが、青森の夏をこの一瞬に迎え送る祭本番まであと5日。
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by aura-21 | 2001-07-27 23:54 | ART
2001年 07月 26日

熱い 遠方より友

今日も太陽が熱い、暑い…
深浦の教育委員会 五十嵐さんから電話。展示空間をちゃんと見ておいた方がよさそうだ。来週中にでもまた深浦を訪ねてみようと思う。天気が良ければもうすこしフィールドワークを。


気が付けば明日は「クロッキーの会」がある日。私はもちろん裸婦とかを描く柄じゃないし、そーゆー絵を描かなくなって随分経つ。裸婦クロッキーのお誘いに、久方ぶりにそんな線を描く勉強会もイイかな…と参加のつもり。


昨日から今日にかけてプロバイダーのホームページ公開代理サーバメンテナンス、および一部サーバ変更のために毎日の更新がアップロードできず。失礼しました。


大学時代の友人からのメール。アメリカから今 郷里の三戸に帰国している同級生の情報を貰う。早速電話。結婚して現在はカリフォルニア在住。上の息子が最初に電話に出て「誰?」と聞かれる。お母さん(同級生)に替ってもらうと「どちらさま?…が言えないのよね〜」とか言ってる。女性も40才を越えると会話に途切れがなく滔々と話し出す。なかなかこちらの言葉を挟むのにも間合いを計ることがむずかしいね。電話だと話し方以外は昔となにも変らない感じだ。メールアドレスを教えてもらったので、今度出してみよう。真澄ちゃん!!今度メールしまっせ〜
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by aura-21 | 2001-07-26 23:53
2001年 07月 25日

キッズ佐吉

午前中にはりんご箱のコロシアムが解体される。元の広い空地に戻り、またすぐに次の建築物が建ち、駅前の喧噪と等質化してゆく。私は用事が出来て参加できなかったけれども、本当なら無くなる時にも立ち会いたかった…
11時半ころ通り雨…。昨日のキッズの映画会も小雨の中で決行。子供達はよろこんで雨天決行を遊べたかな?そうだといいのだけれども。

昨夜、佐吉プロジェクトチームのテーブルでは今ご懐妊中の小笠原さんが「生まれてくる子が男の子だった『佐吉』と名付ける!」と言い切ってる…酒も入ってたけど…PHの中川さんが真面目にまたその事を奨めていた。
今日、また最後のミーティングでそう宣言してました…小笠原さん。


夕方からPHスタジオのみなさんと「堀江佐吉を探せ!」プロジェクトの最後に打ち合わせ。青森の構成メインバーによる今後の行動計画。
メーリングリストの作成。八月末に出す、佐吉NEWSの続刊編集方針。などなどを話し合う。その後に居酒屋で飲み会。
PHスタジオ、池田 修さん 中川達彦さん 細淵鷹太麻紀さんは明日帰られる。お元気で!!!!〜また連絡いたします〜
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by aura-21 | 2001-07-25 23:52 | ART
2001年 07月 24日

お盆 キッズ・アート

午前中市内月見野霊園に墓参。お盆も近くめったに帰って来ない妹の帰省中に合わせての行動。昨日の函館もそのひとつ。なんだか振り回される…

「堀江佐吉を探せ!プロジェクト」NEWSのVol.2への原稿をFAXで送信。
PHスタジオさんはなんとiMacをモバイル! いちいち電話回線のジャックと電源のあるところへあのiMacを箱のまま持ち込んでメールを受信…すごい! 確かにノート型では画像処理や図面の処理には使い勝手が悪く、デスクトップ型でもiMacのように一体型はまだ勝手がいいのだろう。データ資料も全部この中に入っている都合上やむをえない…とか。力技だ!


午後から「りんご箱のコロシアム」の手伝いをしたくて出かける。ずっとPHスタジオのみなさんのアシストをかって出てこのプロジェクトにも思い入れがあるせいだと思う。今日はこの空間を使って「キッズ・アート・ワールドあおもり2001」のファイナルイベントが行なわれる。箱の調整や買い出しなどの手伝いをして早夕刻の開催時刻。参加作家の挨拶や「佐吉スタッフ」の挨拶もあって我々地元チームも壇上へ。
途中小雨の中、佐藤 真監督のワークショップで子供達と作った「駒どり親子の大冒険」(コマドリ撮影)の野外上映会。画像と一緒の子供達の生演奏も良かったです。


八時過ぎからは作家とスタッフによる飲み会
…すっかり最後まで居てきました。
昨年のPuddlesの中瀬康志さんが夏休みで来青。キッズのファイナルとバッティングしそっちの飲み会に参加出来ず残念…
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by aura-21 | 2001-07-24 23:57 | ART
2001年 07月 23日

函館へ

昨日から東京の妹が帰って来ている。短い帰省中だ。今日は函館へ墓参り。バスで駅へ、9時15分の海峡線で函館へ。
車中はぐったり疲れて眠る。函館は天気も上々。市電で谷地頭駅終点、そこから徒歩。今日は地蔵堂の大施餓鬼、青森市の茶屋町の地蔵堂も灯籠流しの日だった。墓参り後に地蔵堂に立ち寄ると檀家が集まっている。住職の法話があるようだったので入って聞いてみる…が、坊さんがみんな法話が上手いわけでもないな。「私はマザーテレサを尊敬していて…」とかよく解らない言葉も出てくる。集まっている人(ほとんど老人)で私の前に座っているおばさんの服にはエジプトのピラミットの絵が描いてある…
2時でもまだ終らない法話に我々は途中で退席…失礼しまっす。
遅い昼食に鮨店へ。期待を裏切る味の締まらなさにガッカリして…でもお腹は満腹で…出てくる。3人で15000円也。まだ温かかったアナゴの鮨が一番美味しかったかな。…他にウニとか…。


午後8時に青森到着。8時半ころ自宅着。車を飛ばせば茶屋町の地蔵堂の灯籠流しに間に合うか? 急いで出かける。灯籠はもう遠くに流れてしまい河面にうつる街の灯がきれいだ。14〜5軒ほど出ている夜店をぼんやり覗く。仕舞い始めた1軒で花火を買って帰る。家族3人で線香花火を囲むのは記憶にないけど懐かしい。いい大人…だからこそシンプルな線香花火が沁みるのかも。
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by aura-21 | 2001-07-23 23:49
2001年 07月 22日

三戸町立現代版画研究所

昨夜…秘密基地は久方ぶりに子供の気分に戻った(酒盛りしてから寝たけれど)。ビルの谷間の野営…夜更けまでの飲み会もネオンの灯が寂しさをつきまとわせる。雑踏、路傍という言葉が適切かどうかは解らないが、積み上げたりんご箱のその隙間に自分の居場所を確保するのが小さな安心感か。寒くもなく暑くもない気温と湿度だったが持ち込んだ寝袋を半分かけて浅い夢をみる。
8時前に一旦自宅に戻る。この日記をアップ。
これから「三戸現代版画研究所」を訪ねる。


青森市から国道四号線を南下。二時間ほどで目指す「三戸町立現代版画研究所」に到着。現在ここをまかされている鈴木吐志哉さんをはじめ東京から訪問&滞在中の彼の友人たち、三戸町の版画教習に来ている方々…と、熱気があって空気も設備も申し分なく出来上がっている印象の空間でした。私のところでは出来ないシルクやリトの設備、エッチングのプレス機も大型でうらやましい。
「いつでもどうぞ」…というご好意にいつか甘えてお訪ねしたいです。


後からお見えの三浦栄子さん、五戸町からここへ通って版画を作っている方。あおもり版画トリエンナーレの二部に三浦さんも今回入選されたそうです。初めまして…。そして、おめでとうございます。
今回の二部の県内入選者にはこれで全員お会い出来たことになる。



雨脚の強くなった国道を青森へ。
夕方から五拾壱番館ギャラリーでキッズの「写真展」(北島敬三氏のワークショップ参加した子供達撮影の写真展)の展示が終りオープニング。
高木さんからここが焼ける前の高木家の写真資料と図面のコピーを頂く。佐吉プロジェクトへの資料。雰囲気のいい感じの大家族写真。玄関前の様子から家屋の規模が伺える。硝子戸に高木醫院の金文字。(セピア写真ですが)
りんご箱のコロシアムをファイナルに向けて片付け。ステージやバーカウンター、テーブルなどを大体設定。11時近くに一応終了。青い森公園での「アトミックカフェ」へ合流。焼肉、焼そば、冷えたビール。夕方から既にひと盛り上がりあったそうです。12時過ぎに片付けを手伝って帰宅。…今日は長い一日でした。
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by aura-21 | 2001-07-22 23:46 | 版画