<   2004年 08月 ( 32 )   > この月の画像一覧


2004年 08月 31日

領域を アート公開講座

朝からボチャッボチャと雨。台風通過。思ったほど青森市内は荒れなかったが沿岸ではどうだったのか。



「領域を越えて…」とはよく聞く言い回しだが、領域の必要性があるのならばその領域にしがみつくことやその場に踏みとどまることも重要なことのような気がする。「美術の領域」と書いても美術に関係している人ごとにその領域は同一ではない。もともと同一ではないことに「領域を越える」越境のダイナミズムな意義とはなんだろう。
錆びのように纏わり付いて身にのしかかっている縄張り意識のような領域はたぶん周囲から打破されるべきものでしかないのだが。




昼過ぎに「ひいろ陶房」さんへ。五戸町の展覧会チラシを置かせてもらう。
お茶を頂き世間話。お邪魔しましたぁ。




18時からアウガ、県立美術館アート公開講座。
今日のテーマは棟方志功、「志功四講」[武田公平(棟方志功記念館)、若井秀美(棟方志功記念館)、對馬恵美子(県立郷土館)、菅野 晶(県文化振興課)、司会 三好 徹(県文化振興課)]による…を聴く。
四人による各ミニ講義、それぞれもっと時間をとって語られれば深い話になるのだろうに、制限時間を四つに別けたのでは講義内容は物足りないものになったようだ。スライドを使った(画像的に鮮明さにはかけるものの)菅野さん、若井さんの講義は解りやすい印象。對馬さんの調査も重要だがその調査結果から判った内容をもっと聴きたかった。




告知に。石澤暁夫アート展(浪岡町中世の館 大ホール/浪岡)、土岐千佳子絵画展(ギャラリーデネガ/弘前)を追記。
[PR]

by aura-21 | 2004-08-31 22:35 | ART
2004年 08月 30日

へろへろ

台風の影響で曇ってすこし雨もパラつく朝方。日中は曇天ときどき太陽。


今日も終日在宅。手紙を数通書く。版画の整理。など。


かみさん今日も仕事の後に芝居の練習。
「へろへろに疲れた…」と申しております。
[PR]

by aura-21 | 2004-08-30 22:33
2004年 08月 29日

レジデンス 殺陣

晴れ。

起きたら最後の洗濯物をかみさんが干し終わったところ。手伝えなかった。ごめん。


空間実験室では午後から公開プレゼンテーション。見に行きたかったが…常田さんゴメン。
…謝ってばかりです。かみさんなどはきつくて「謝れば済むと思って…すぐ忘れちゃうし…」と厳しい叱責。


終日在宅、日射しの熱が暑くるしい版画室で仕事。




昨日はフォーラムの終了後に大間出身の彫刻家 向井勝實さんと久しぶりにお会いした。
ラウンジで一緒にお茶をしてて聞いた話。
向井さんも今年既に外国2ケ所でレジデンスし彫刻を作ってきたそうだ。ヨーロッパで出会うむこうの作家は日本に行ってレジデンスを希望している人が多いそうだ。ヨーロッパからみて極東の小さな島国である日本が自動車や電子機器でトップクラスだったり治安がよかったりオリンピックでアメリカなどの大国と並びメダル争奪をする国であるということが不思議でならないのだそうだ。皆その不思議の国にレジデンスしたがっているよ…と向井さん。

その向井さん、下田の方にある学校でまた木彫のワークショップ(?)が開催されるそうだ。お元気だ。




かみさんは芝居で和服を着て剣を振り回すシーンがあるそうだ。所作の勉強にと借りてきたビデオを見ている。覗くと1961年大映映画「濡れ髪牡丹」市川雷蔵、京マチ子主演。喜劇。
京マチ子の一人で大人数の大人相手の殺陣がファンタスティックで、市川雷蔵の何でもかんでも「××流免許皆伝」の腕前が笑える。
[PR]

by aura-21 | 2004-08-29 23:29 | AIR
2004年 08月 28日

記憶のエレメント アートフォーラム

晴れ。
午前中に整骨院、気巧。体が慣れてきたのか効きがだんだん緩く感じる…腰の痛さを集中して取ってもらったがすぐに戻ってしまう。何割かは効いている感じもするのだが。



国際芸術センター青森へ。
13時より土屋公雄さんの展覧会「記憶のエレメント〜沈下する時間」オープニング。静かだが気迫のある作品群を観る。Aギャラリーに6組、Bギャラリーではガラスを使った小品や壁面のインスタレーションなど3組。時計が象徴的に使われている。記憶と時間は大きく関係している。今回土屋さんの初めての試み(本人談)として映像作品が出品された。ポスターでも使われた作品「記憶の家」(2003年)の解体時に撮影し編集したものだろうか。落下する家具。ぼんやり曖昧でありながら記憶/思い出を彷佛とさせる陰、ピントの浅い効果がもどかしい記憶の美しさとかやさしさに包まれた記憶、忘れたい記憶などなどを浮き上がらせるかのようだ。スローモーションでの落下とそれほど完全に壊れさることのない古い家具。
イメージは手を加えるとどうにでもなる。ハリウッド映画などでの爆破シーンが完全燃焼する火薬によってきれいさっぱり原形を無くすイメージがどこかにある。が、落下くらいでは古い家具でも砕け散ってはしまわない。古い家具、破壊の衝撃が与えられても原形を留める壊れ方…むしろ壊れない…ものである。古い記憶、記憶も同じようなところがある。
廃材から集めた鏡面の反射光、光も飛散して周囲をまだらに照らしている。

古い柱時計が綱(三つ編みされたロープ)で吊るされている。その示す時刻はヒロシマやナガサキに原爆が投下された時刻、ジョン・レノンが撃たれた時刻、ケネディ−が暗殺された時刻、9.11の時刻、東京地下鉄サリンの撒かれた時刻などを示している。作品の背景の歴史的意味で報道され記憶に焼き付いた悲劇の時刻群。アートのパブリックさから言えばここで作家によって「選ばれた時刻」は訴えかける力の大きな意味のある時刻たちなのだろう。しかしその意味が大きければ大きいほど逆に不確かにフィクションじみて感じられた。大上段に構えた「時間」だけがここでは選択されていたことに、むしろ現実離れした遠くの出来事としてリアリティーを嗅ぎ分けれない自分がいた。もっと作家のプライベートな「時」を並列してあったらまた別な感想をもったことだろう。どこの「時間」を選定するかで作家の所属する世代の位置が見えるようにも感じた。

▼9/2追記:ギャラリーA棟の反対側にも「灰のバラ」という作品がありました。見落としていた。一軒分の廃屋を燃やした灰を使った作品。今回のここでの展示には解体された家、あるいは人の住んだ生活臭を変容させて作品の素材としたことが記憶と強く結びつく効果を見せている。コンセプトと表現方法の強さを見せる素晴しい展覧会となっている。

続いて14時よりARTizan企画のアートフォーラム「世界に開かれたアートの場に向けて」。この会場に流れる応援歌を誰が聴いているのかだろう。聴いて行動に移せる人たちの居ることを私も願う。フォーラム中うっとりと見ていられた土屋氏の資料スライド画像。氏の体験したレジデンスでの現場写真がとても興味深い。そこに写る作品もある種忘れてた新鮮さ。注意しないと作品鑑賞になってしまうのだが本論は勿論レジデンスというものの実態に近づくためのフォーラムである。
Maria Tuerlingsさん(TRANS ARTISTS」)のお話にもあったが、レジデンスは作品の制作完成だけが目的ではなく、そのレジデンスの種類/内容によって千差万別。現地で作品を完成させなくともそこでの滞在期間を個々人が創造性に関連し費やせばいいのだ。集中する時間を持つ/送ることだけでも十分に意義のあることだろう。
ネットワークの構築とその活用…「活用」されることからスタートするものが大きい。アーティストというtransformerが別な文化とか他所の地域へ行きそこでの文化を読み替えることも交流を増幅させる。アーティストという機関(ウイルス?)だろうか。文化環境の中でその機能が腐敗とか発酵とか分解とかに相当する動きをもたらす。世界認識とか意識に関ることだ。




DVD「BULLETPROOF MONK」、「弾丸坊主」という邦題(予告編)のほうがなんだかすごい。ワイヤーワークが盛沢山、「グリーンディスティニ−」のような軽やかさがすこし足りないな。
DVD「ダムド・ファイル」「0」と「1」を見る。オムニバス。各話ごとのキャスティングと名古屋地区に絞ったローカル言葉が「恐い話」と相乗効果。寝たのが深夜3時半を過ぎた。


告知に「長沢アートパーク水彩木版制作研修」「日本の水彩木版画・世界の水彩木版画」を追記。
リンク集に「産業人文学研究所」「TRANS ARTISTS」(オランダ)を追加いたしました。
[PR]

by aura-21 | 2004-08-28 23:22 | 展覧会
2004年 08月 27日

解り難さ 親睦食事会

晴れ、残暑少々。
午前中に版画。小さいものばかり7点。
10月にむけた制作も徐々に準備していかないと…だ。




「判り易さ」による「解りにくさ」。美術とか表現とか芸術とかの誤解による「解りにくさ」は回避したいが勘違いの「判り易さ」みたいなものも回避したい。そんなに判り易く噛み砕いてしまった後に何が残るのか…という疑問。
もともと人間の分析しきれないようなところからスタートしているものに明解な回答なんてのもないだろうに。美術は謎を残しながら味わうところが面白いのに、なにもかも分解してしまって元通りに組み立て直せない時ってないか?




沢山アート、沢山は誰もいなかった…平日はお休みか?
五拾壱番館ギャラリーでミニチュア版画の作品展。欲しいものもあったがその数千円が今手元にない。




気巧(整骨院)六回目。今日も院長の強力パワーを浴びる。
椅子での長時間作業が身体に悪いらしい。しかし今夜もこの日誌をパソコンに向って打ちもう1:20 AMなり。




夕方7時から国際交流ハウスでのパーティは明日開催のフォーラム「世界に開かれたアートの場にむけて」の主催スタッフ(ARTizan)とパネラーとの親睦食事会。タイ料理。Trans Artist主宰のマリア・トゥ−リゲンさんによる「Trans Artist」のWebをみながらのシステム解説。

その場に参加した中にこれから外国へアートのレジデンスで出かけようという気持ちのある人が何人いたのかは解らないが、丁度ACACで明日からの土屋公雄さんの展覧会に設置の手伝いで来ていた武蔵美大の学生さんたちが興味深く聞き入っていた。世界に向って羽ばたこうとするアーティストを応援したいのがAIRでARTizanだったりACACだったりする。しかし地元にはなかなかその世代で世界に飛び出そうと思っている美術志望者が希薄そうなことも事実。「誰もいない」とは思わないが、応援隊ばかりが声をからしている。この街に美術系の学校があればもうすこしはアナウンスの投げかける方向もあるのだろうが…と気の毒な、如何ともし難い気分。もちろんこうしたフォーラムはARTそれも現代美術における底辺の拡大を願ってのことで、そのための幅広い情報と知識に接することのできるフォーラム、それは理解できるし重要だと思うのだ。
私? 全然飛行機に乗りたいと思わないし…外国に行きたいという気持ちも今のところ…ないのよ。ん〜残念!

故 吉田克朗氏の奥さまの のり子さんとお会いする。版画で外国にレジデンスされてきたそうだ。明日のフォーラムにも来られるとのこと。
21時過ぎてもうすこしお話も聴きたかったが私用で帰宅。

私用といっても芝居の稽古の終わったかみさんを迎えに行って、週末だし浅虫くらいまでミニドライブである。おぉぉぉぉぉ〜愛妻家?(赤面)




戦争の悲惨さを訴えるのではなく平和の尊さを伝えること。




告知に、「第5回ND会」、ギャラリーla vie(盛岡)で開催の2つの展覧会、「佐藤 達展」(五拾壱番館ギャラリー/青森)を追記。
[PR]

by aura-21 | 2004-08-27 22:18
2004年 08月 26日

制作 スパム

晴れ。朝ベットから起きだすのが辛い。昨日の気巧はちょっと合わなかったのかな? いつものようにかみさんを仕事に送る。午前中は母の用事に付合っての運転手。




午後からやっと自分の時間を見つけて仕事に向う。7点ほど作る。仕事部屋は西からの日射しで汗がにじみでる。
作業中にシマナカさんより電話。こういう時に限って出られなくて残念。明日夕刻からフォーラムのプレでパ−ティがあるという。国際交流ハウスにて。参加する予定。




整骨院、5回目。初めて院長先生にあたった。さすが気巧パワーも強い。




差出人が私のメールアドレスで出会い系サイトのスパムが届いた。吃驚!
どうしたことだろうか。なにか感染したかな??それとも機械的にランダムに送信者アドレスを偽っているのか? 私のアドレス帳のみなさんに送信されていないことを望む…




告知欄に「佐藤 達 空間造型・アート・モニュメント資料展」(ネッツトヨタ仙台/仙台市)を追記。
[PR]

by aura-21 | 2004-08-26 23:15
2004年 08月 25日

味噌ラーメン

夏の終わりと秋の始まりとの間。今頃の青森は過ごしやすい。


朝かみさんを送り、10時には母の指圧通いに付合い、その後昼食を外で食べることに。母は地元テレビで紹介されたという某「うどん屋」?に行きたいと言い出し、うろ覚えなナビでその町まで行ってみるが…やっぱりみつからないもの。そこは青森市森林博物館も近い所。今までに入ったことがないのでこの際…と入館。館内二階の1室では木版画の福井平内さんが丁度個展中。福井さん在廊。昼食前なので腹が減ってて…福井さんの版画だけを見て出てきた。
博物館そのものは明治の建築がそのまま残っている。機会があれば次回は建物を中心に見てまわりたいところ。


昼食に長島小学校近くのラーメン店「麺雅」へ。ここも初めて。みそラーメンと餃子。うまい!
普段からあまりみそラーメンは注文しない方だが旨いと思って食べた。餃子の味噌ダレだろうかテーブルにある自家製調味料をつけて食べたら なおさらにうまかった〜。



整骨院の4回目。
足の親指関節が痛かったのをすこしの間暖かい手で触られたら嘘のように痛さが消えた。おもしろふしぎ。




告知に。かみさんも出演する雪の会公演「なにゃどやら異聞2004」(青森市民文化ホール)と「51枚のミニチュア版画展」(五拾壱番館ギャラリー/青森)…を追記。
[PR]

by aura-21 | 2004-08-25 23:10
2004年 08月 24日

搬出手伝い

晴れ。時々通り雨が幽かに降る。


これと言って何も手につかない。乾いた版画にサインをいれて片付ける。小さいものばかりだな。


午後から整骨院。だいぶ身体も楽になってきた。 もう少し続けてみよう。



16時すぎに五拾壱番館へ。個展中の林ひろ美さんの搬出の手伝いをする。男手不足ですっかりあてにされたが自分では奉仕のつもりがバイト代までもらってしまい恐縮。
実は早めに終わったらアウガの「県立美術館アート公開講座」で工藤さんたちの講演を聴こうと思っていたのだが、片付け終わったら19:30を過ぎていた。「ん〜〜残念!」次週(8/31)は逃さず行くつもり。
[PR]

by aura-21 | 2004-08-24 23:09
2004年 08月 23日

版画年 版画の街

晴れ。だいぶ残暑も弛んできたか。

版画関係の情報にネットで出会う。

今年と来年は「版画年04-05」(http://www.asahi-net.or.jp/~kx8t-ktr/)という。
[版画年04-05]管理者さまより「当学会は一切のリンクをお断りしております。学会の方針とご理解下さい。」とメールでの問合せにご連絡いただきましたので、見たい方は上記URLをコピー/ペーストしてください。
「ispa JAPAN 2004 国際版画シンポジウム」という企画も開催されるという。


青森市が「版画の街 あおもり」を掲げながらも全国レベルでのそのポジションや取組み、またどのように版画と関っているのか…とその姿勢を思うと、近年では一番先に「あおもり版画トリエンナーレ」が挙げられるのだろう。けれども些か「孤立しているのでは…」ともつい感じてしまう。
それは版画についての現代の文脈、技術や考え方についての先進的なものの導入において、新しいことに於いて、「発信側」というよりもすべてに押され気味の「受手側」に立たされている印象があるせいだ。昨年の棟方志功生誕百年で過去の版画王国としてのポジションには一旦の区切りがついたのではないか。これからの百年に向かって次世代層を掘り起こし育てるという意味では、この地域での取組みはまだ皆無で、いくら幼小中学校での授業が盛んとはいっても、青年世代…一番血気盛んな20才前後…とそれ以降の世代
が版画と共に在れる場所が少ない。そのことはこの日誌上でも何度か嘆いた。嘆いてばかりもいられないが、「版画」への期待の荷重に耐えれる土壌を未来に培うことを今から積極的に築かないと青森の版画人口も枯渇しそうな脈拍の弱さである。

版画とどう歩むのか…小さなこの街の中でさえも世代を越えて歩調の揃った時に何かが興ってくれそうだ。



午後、Kさん宅でMTG。しばらくぶりに訪ねた。決めるべきことのためのディスカッションよりも脱線(その方が重要なのだが)する話題の方がいろいろ未知の情報を秘めている。会話を楽しんだ時間。同席のSさん、彼がこんなにも笑わせてくれる人物だったことを発見!と叫ぼう。メルヒェンでんな〜。
MTGの本題は10月に市内でやる「ザ・三人展」(仮称)に関するもの。
急がなければ!…いろいろさまざまに。




土曜日に行って、本日二回目の整骨院での治療。
黙って摩られてる気巧。施術後なんだか調子がいい。続けないと。



かみさん今日も仕事の後に芝居の稽古。




DVD「eXistenZ」(1999年)を見る。さすがDavid Cronenberg監督!
ゲームに耽る世界をクローネンバーグ独特の質感で描く。あのゲーム器の仕様や全編いたるところに出てくる突然変異種生物、そのグロテスクな形と動きはあの「裸のランチ」で登場した柔らかいタイプライターやそれ以前の「ビデオドローム」のビデオテープを思い起こさせる。
ゲームの中(ちょっと二重に入り込んでいるストーリー)は今風のデジタル処理も使われずスピード感に満ちたものではない。むしろ手づくりのクリーチャー。登場人物もどんよりと動く。それは夢の中のもどかしい動きを表しているかのように焦れったく「仮想のリアル」を伝えてくる。ラスト、幾つかのどんでん返し後に戻ってきた現実…その現実離れした感覚…も、後味としては映像のこちら側(映画の中の現実ではなく私の生きている現実)に地続きで繋がってくる。
死の瞬間が彼岸での別な目覚めとしたら生きてきたこの一生をバーチャルに体験したゲームのように振り返るのだろうか。
[PR]

by aura-21 | 2004-08-23 23:59 | 版画
2004年 08月 23日

版画年 版画の街

晴れ。だいぶ残暑も弛んできたか。

版画関係の情報にネットで出会う。

今年と来年は「版画年04-05」(http://www.asahi-net.or.jp/~kx8t-ktr/)という。
[版画年04-05]管理者さまより「当学会は一切のリンクをお断りしております。学会の方針とご理解下さい。」とメールでの問合せにご連絡いただきましたので、見たい方は上記URLをコピー/ペーストしてください。
「ispa JAPAN 2004 国際版画シンポジウム」という企画も開催されるという。


青森市が「版画の街 あおもり」を掲げながらも全国レベルでのそのポジションや取組み、またどのように版画と関っているのか…とその姿勢を思うと、近年では一番先に「あおもり版画トリエンナーレ」が挙げられるのだろう。けれども些か「孤立しているのでは…」ともつい感じてしまう。
それは版画についての現代の文脈、技術や考え方についての先進的なものの導入において、新しいことに於いて、「発信側」というよりもすべてに押され気味の「受手側」に立たされている印象があるせいだ。昨年の棟方志功生誕百年で過去の版画王国としてのポジションには一旦の区切りがついたのではないか。これからの百年に向かって次世代層を掘り起こし育てるという意味では、この地域での取組みはまだ皆無で、いくら幼小中学校での授業が盛んとはいっても、青年世代…一番血気盛んな20才前後…とそれ以降の世代
が版画と共に在れる場所が少ない。そのことはこの日誌上でも何度か嘆いた。嘆いてばかりもいられないが、「版画」への期待の荷重に耐えれる土壌を未来に培うことを今から積極的に築かないと青森の版画人口も枯渇しそうな脈拍の弱さである。

版画とどう歩むのか…小さなこの街の中でさえも世代を越えて歩調の揃った時に何かが興ってくれそうだ。



午後、Kさん宅でMTG。しばらくぶりに訪ねた。決めるべきことのためのディスカッションよりも脱線(その方が重要なのだが)する話題の方がいろいろ未知の情報を秘めている。会話を楽しんだ時間。同席のSさん、彼がこんなにも笑わせてくれる人物だったことを発見!と叫ぼう。メルヒェンでんな〜。
MTGの本題は10月に市内でやる「ザ・三人展」(仮称)に関するもの。
急がなければ!…いろいろさまざまに。




土曜日に行って、本日二回目の整骨院での治療。
黙って摩られてる気巧。施術後なんだか調子がいい。続けないと。



かみさん今日も仕事の後に芝居の稽古。




DVD「eXistenZ」(1999年)を見る。さすがDavid Cronenberg監督!
ゲームに耽る世界をクローネンバーグ独特の質感で描く。あのゲーム器の仕様や全編いたるところに出てくる突然変異種生物、そのグロテスクな形と動きはあの「裸のランチ」で登場した柔らかいタイプライターやそれ以前の「ビデオドローム」のビデオテープを思い起こさせる。
ゲームの中(ちょっと二重に入り込んでいるストーリー)は今風のデジタル処理も使われずスピード感に満ちたものではない。むしろ手づくりのクリーチャー。登場人物もどんよりと動く。それは夢の中のもどかしい動きを表しているかのように焦れったく「仮想のリアル」を伝えてくる。ラスト、幾つかのどんでん返し後に戻ってきた現実…その現実離れした感覚…も、後味としては映像のこちら側(映画の中の現実ではなく私の生きている現実)に地続きで繋がってくる。
死の瞬間が彼岸での別な目覚めとしたら生きてきたこの一生をバーチャルに体験したゲームのように振り返るのだろうか。
[PR]

by aura-21 | 2004-08-23 23:59 | 版画