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2004年 09月 28日

サポートで

今日も晴れ。

AIRでACACに来ている Dagmar Pachtner(ダグマー・パハトナー[ドイツ])さんのサポートでセンターへ。
館では26日で終了した土屋公雄さんの展覧会の搬出作業中のようだ。土屋さんも来てラウンジ横で携帯電話をしている姿をみかける。

13時ラウンジ前でダグマーさんと落合う。メールをもらってから初おめもじ。
行動派な印象は世界のどこから来た美術作家も共通に持っている空気だ。大きなディーバックも力強い。今日の彼女のミッションは作品に使う素材準備。自分が演じるパフォーマンス映像も作品の要素に使う。そのパフォーマンスのため全身黒づくめの服装が必要とか。それを見つけることと記録メディア(ヴィデオテープ・DVDディスク)を購入すること。
西部地区にあるUNIQLOとスポーツショップでイメージに近い衣装を発見。もう2軒ほど寄り道をして電器店でメディア素材を買う。同じメーカーで同じ録画時間ながら値段の違うデジタルビデオテープに、その違いがナンなのかを店員に聞いて欲しいと言われ、店員に尋ねるとカウンター奥に引っ込んで三人くらいでテープに書いてある小さい文字を判読しながらぼそぼそ相談している。解っているスタッフは居ないのか? 彼女も手持ちぶさたに店内を見て歩いている。やっと答が帰ってきたがそれほど重要な違いがなさそう。マスターで何度もの再生に対応するという説明だが、現れる映像的にどう違うのか…と言われると映像器機との相性などもあるのではないか。私には説明を適格に翻訳してあげることも出来ないし…。すると彼女はちゃっかりその両方を買った。試さないと判らないということだ。

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途中、コーヒーをご馳走になる。喫茶店でのショット。使用許可はいただいた。
お茶しながら「現代美術はどこの場所でも理解されにくく不必要な逆風がある」ということと、「エスプレッソコーヒーは胃に優しい」…という話になった。
センターへ戻って私は帰宅。



今夜は十五夜の満月だ。母はお供えの準備に熱中して夕飯の支度を忘れたらしい。かみさん帰宅後に一緒に夕食を作って食べる。食後の果物がたくさん。



三人展のDMに載せる原稿についてその筆者からお電話をいただく。
それでいきましょう!
別件、お互いのコレクションを持ち寄る展示会についてもちょっと打合せ。



空間実験室のサイトに更新情報がアップされていた。県の管理サイトなので更新に制約があるのか、手こずっていたようだ。



岩手県立美術館での来年1月の版画ワークショップ、お子様向けの楽しいものにしたい。そのためのリーフレットを担当 Kさんにご尽力いただいている。載せる顔写真、もっと優しそうに写ったものを早急に準備しないと。しかし…こどもをダマすような作り笑顔かい? いえいえ〜こっちは真面目なんですよ。
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by aura-21 | 2004-09-28 22:59 | AIR
2004年 09月 27日

ともんち

晴れ。


午後から版画教室。ともんちさん。
腐蝕銅版画とアルミのドライポントをする。
私も一緒に制作。ドライポントの裏描き墨の効果をまた試している。これは実験とはいいながら本番。実験即実戦なのだ。テスト本番みたいなもので良かったら使う…ということ。

昨日の温泉効果で眠気の中DVDを無理して見て遅く寝た。今日になってもまだ肌から硫黄の匂いがたちのぼってて…眠りを誘う。教室中もアクビをかみ殺しながらの状態。

母が茹でた毛豆を運んできてくれた。

毎回、「おもしろいです」と版画を作っていく「ともんち」。




岩手県立美術館より封書。「ふゆ こどもわーくしょっぷ」の件。リーフレット用の資料や内容をもうすこしやり取りして煮詰めないとね。加藤さま、どうぞよろしくお願いします。



明日は国際芸術センター青森にレジデンスしている作家 Dagmar Pachtner(ダグマー・パハトナー[ドイツ])と一緒に素材集めに出る予定。彼女からメールをもらった。まだお会いしていないがお手伝いできることもあるだろう。
自分の時間と人との時間の割りふりが上手い方じゃないので、最近は自分の事を優先させるようにはしていた。
明日は一緒に市内を歩く。思えば作品制作を介して他の作家と行動するという機会はAIRの時だけ。時には付合って私の方からも別な刺激をいただこう。
英語に自信はないが誤解、曲解のうえにたった意思疎通もある。
アート作品を見る時と同じかもしれない。作品の中にも見る側/作る側の誤解、曲解は常に数%残されてあると思っている。



またまた夜更し。DVD「鮫肌男と桃尻女」。
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by aura-21 | 2004-09-27 22:59 | 版画
2004年 09月 26日

展覧会三カ所

青森は快晴。秋のお彼岸で母方の墓参りへ。

その足で弘前へ。かみさんは今日くらいは家に居たいという。のんびり洗濯と掃除をしてだらだら過ごしたいようだ。では家に置き去りにしていく。どうせならひとりのほうが気楽になるだろう…と母を連れ出して弘前へ。

昼食に常盤村の津軽路蕎麦処「そばの矢車」。弘前へ向う途中でいつも気になっていた。ついついファミレスみたいなお蕎麦屋さんかと勝手に想像していたらサニアラズ。混んでてちょっと待たされたが味も品数(茶碗蒸しと水蕎麦が付く)もいい。母は店員の接客もいい…と言っている。
共に冷たいお蕎麦で「穴子天ぷら蕎麦」「もずくめかぶ蕎麦」を食べた。



弘前は3ケ所の展覧会を見て歩く。

○「土岐千佳子 絵画展」 ギャラリーデネガ
貝殻1個を画面の中心に大きく据えた同一の構図と印象的なブルーを背景にした100号の絵画が並ぶ。それぞれが二枚組なのか同じ貝のモチーフをすこし回転させて描く。一瞬全部がコマドリ撮影のようなパラパラマンガのような連続する関係に見えた。つまり連続する行間に物語があるような展示に見えたわけだ。絵と絵の行間に多くのメッセージを詰め込んだタブローの展示であるとしたらそれはインスタレーションなのかな…と思えた。繰り返して見せるという絵の効果を狙ったのか、期せずしてなったのか…作家本人は席をはずしていて伺えなかったが、おもしろい表現になっていたと感じた。

○「むさ美OB展」 弘前市百石町展示館
初めて入る会場。作品展は1階・2階を使っての展示。仮設パネルを出して絵を掛けている。木版画の熊谷吾良さんが会場に居た。立ち話ではあるが先日の版画トリエンナーレの事や熊谷さんがこの夏に弘前のNKH文化センターを会場に県外からも版画を集めて(70点数位)展覧会を企画運営した話をうかがう。プロではなく素人の方々の版画だったそうだ。「素人の人の作品からもいろいろ勉強させられますよ」と熊谷さん。ねぷたの時期にかかったようだ。私は知らなかった。

○「四人展(小山秀弘・西澤俊一・長利暢雄・中澤榮子)」 田中屋画廊
西澤さんは青森市在住の方で拙作も見に来てもらったりする。お顔も作風も知っているが他の方々は弘前の方々か。小山さんは国展あおもりの版画に出品している方だが今回はモネ風の水彩画を出していた。中澤さんだろうか、会場でエキセントリックな和服風ドレスを着ていた元気な人。彫刻の田村さんが来ていて話が盛上がっていた風だ、声が大きい。今年100才を越えたご母堂が亡くなられたと聞いていた。元気だ…。
階下で珈琲を飲んで店を出る。



15時を過ぎて岩木山の「嶽温泉」へ。温泉に入る準備はしてきた。高原の宿「山楽」へ。入ってから一度サンダルに履き替えて外にでたところの露天風呂と内風呂の両方に入る。泉質は硫黄泉か、酸ヶ湯と同じような匂いがし白濁している…などと温泉紀行は置いといて、入浴すると眠くなる。帰りの運転がきびしい。
やはり「嶽きみ」は買って帰らんとな。
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by aura-21 | 2004-09-26 23:23 | 展覧会
2004年 09月 25日

版画制作中

かみさんは「牧 良介 十三回忌」法要へ。黒の式服がエロい…おいおい。
墓参から法要、偲ぶ会にも参加してから二次会・三次会にも行ったそうだ。
23時近くに「迎えたのむ」の連絡。



午後16時、東奥日報社へカット原稿(12点)を届ける。



版画制作。張り込む和紙を裏側から墨で描き汚し透けさせる効果。志功の裏彩色的なこの滲みを版画に応用してみる実験。もともと1/1のドライポイント版画がますますモノタイプのように1点しか摺らないものになるだろう。ますます複数制作にこだわらなくなってきた。むしろ現代のデジタルプリントはデータという形にすることで無限に同じものが摺り出せる(出力できる)。複数(複製)性からいうと版画(印刷)の理念を踏まえたものである。
デジタル処理によって画像を相似に縮小も拡大もできる。オリジナルサイズの消失、その事は「版画」を語るうえで今/今後どのように問題化されるのか。



リンク集に「棟方志功記念館」を追記しました。志功記念館様 ありがとうございます。
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by aura-21 | 2004-09-25 23:23 | 版画
2004年 09月 24日

三人展打合せ 他

10月末に青森画廊で行われる3人展「仕事について、芸術について」のためのMTGと打ち合わせ。4人参集。DMについて載せる文章で話合う。美術ライターの茂田有徳さんと画廊側との調整が行われた。もう一度推敲してもらうことになる。顧客や他の作家に対する配慮のようなものが必要と判断した。
今回のDMでは「県在住若手作家を紹介する企画展」と銘打っている。
首藤さんより作品写真とデータを預る。

16時にデザインを依頼しにスタッフを訪ねる。村上さんには「こうしたデザインには極力お手伝いしていきたいので」と言っていただき、甘えてお願いした次第です。ありがとうございます。

空間実験室。18時より1階で柳谷暁彦さんの個展「SALT+&Pepper Beat Generation」会場にて。柳谷さんによる音のパフォーマンス。テープから流れるAllen Ginsbergの詩朗読と柳谷さんのエレキギターコラボレーション「Playing the electric uitar with poem voice」。ギターもエフェクトをかけて詩の音質と交差し主従入れ替わるような強弱。こちら側の意識にハウリングが波立つ。60年代のBeat Generationをモチーフに。普段それらの音楽をかけながら絵を描いている柳谷さんは今度は描いた絵の前で音をぶつけ向合わせたかったという。30分間弾き続ける彼のトランス状態は詩の朗読「Footnote to Howl」のHoly! Holy! の連呼の中で同時に終わった。数人の観衆から拍手。

続いて「×と○」- バツとマルのトークショー-
「極私的、サブカルチャー論講座」佐々木淳一氏と「サルにもわかる哲学講座」嶋中克之氏による2部構成。共にARTizanメンバー。

Nプロから知り合った佐々木さんの普段の生業は知っているが、こうした彼の別な面で話を聴くのは初めてなので新鮮。30分という持ち時間では氏の考えているサブカルも触りの概論を述べるに留まった。参考に見せてもらったサブカル系雑誌の創刊号などもひとつひとつ中身を検証した話をすすめたら内容は佐々木さんの知識と相まって何時間でもつづけられそうな深さ…それはアメリカをはじめとした異文化と日本の若者が作り上げた表層文化との接点で時代が見える…考現学を見せられているようで興味深い。もっと聴いてみたかな?…と思わせておいて終わるところが佐々木さん…ひっぱりますね。もっとテーマを絞ったサブカル論を次回楽しみにしています。

嶋中さんの哲学講座は、たぶん2回目。前回はND会での発表だった。
今回は佐々木、嶋中両氏の講演中後ろで柳谷さんが音量を落としてずっとバック音楽を弾き続けている。生音をBGMに…贅沢な講演会?。しかし、その音があったから聴いている側で(寝ないで)助かった印象もある。
哲学はとても眠りを誘う。嶋中さんによる解読はハイデカー哲学の彼流の解釈です。この講演も彼が書いてきたものをその場で読むという形式のものでした。完全に朗読と言えます。一部を空間実験室の女性スタッフに読ませるという朗読劇風はパフォーマンスも味付けしてましたが。これは柳谷さんのパフォーマンスにあった英語の詩朗読に匹敵する印象でした。だから肉声と音の絡むパフォーマンスとして聴いていました。…でも、そうした受取り方で聴いているからおもしろい。これが文章を読むだけの国会答弁風すれすれだという見方もあるかな…すまん!
しかし、朗読にしても詩を聴かせるにしても文学的・パフォーマンス的な表現力(文章力とか演技力)は必要になります。詩人の朗読会が痛いのは詩を読み聞かせる表現力の問題が文章表現力の問題と噛み合っていないからではないか…と。読み聞かせに場慣れした詩人は幾らか芸人的上達を獲得しています。
たぶん哲学的意味を訴えるならば「文字」で書かれたものを読ませた方がいいのです。全文のサイトアップを期待しています。

終わった会場で大多数は飲み会。それぞれ集まって会話に華が咲く。
五戸の私の個展に青森から数名の友人が足を運んでくれたことを知る。ありがとう。また現在国際芸術センター青森でレジデンス中の作家も昨日は一緒に行ってくれたそうだ。施設そのものの建築もおもしろいから見所たくさん。



実験室からそのままかみさんの芝居の稽古場(今日は古川市民センター)へ迎えに寄る。終わるのを待つ間。このセンターの一画には版画の常設展示室がある。青森市では「版画文化の継承と発展を願い所蔵している関野凖一郎作品600点」がある。一般に関野版画と言うと多色木版による風景や人物を想像するがこの日常設展示場には14点の「コラグラフ」が並んでいた。これら1963年1964年の作品は関野が49・50才の時の作品。大きな作品だ。44才でアメリカのロックフェラー財団の招聘を受けて渡米しているがその影響もあるのだろうか。抽象的な画面構成で強い印圧の作品であった。



岩手県立美術館 加藤さんよりメール。2005年1月の「ふゆ こども ワークショップ」のためのデータを待たれている。すみません。来週初にはお送りします。
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by aura-21 | 2004-09-24 23:23
2004年 09月 23日

美術館へ行こう

秋晴れ。日中は汗ばむ陽気。
祭日ながらかみさんは平常通りの仕事である。送る。夜は芝居の練習もあるそうだ。忙しいヤツだ。





朝のテレビで見たら今日の私の運勢は「美術館に行こう」…とあった。
ラッキーアイテムは美術館か?
早速?午前中に「棟方志功記念館」へ。ちょうど暇そうにしている母を誘ったらニコニコ顔でついてくる。
先日 一般会員になり1年間のフリーパスをもらった。同伴者1名までそのパスで一緒に入場出来るそうだ。そんなに広くはないがこの場所に何度も足を運べるのがなんだか自分だけの隠れ家を作ったみたいでいい感じ、嬉しい。

棟方が木板に向って版画を彫りだす姿を見ていて、同じ版画と呼ばれる仕事のなかでも銅版とはまた異なった姿勢というか手技の触手を感じた。そこに版種の違いだけではない「(版の)素材が違うことで全く違うもの」だという感覚がよぎる。木地に彫刻刀を当て素早く彫り進むことはなにか家具職人や挽物を作り探る指先の感覚と同じようなものを想像させる。それは木の持つ「温かさ」ではないのだろうか。銅版などの金属やリトグラフの石・亜鉛板にはない温かさが木版にはある。生きていた樹木から出来ている板ともともと冷たい鉱物の肌合いとの違い。受け入れる素材と拒否する素材。それぞれのやり方で版画は作られていくのだが、木には彫刻刀を握る手との呼吸が木の脈拍のようにまだ残留しているような気がする。そこを味方につけえるかそうじゃないかで仕事の善し悪しにつながるはずではないだろうか。

その後に市民図書館(アウガ)へ。二冊図書を借りてから過去の新聞等を読み調べる。

午後から仕事。板と違ってアルミは冷たい。思うようにならない事をむしろ私の絵の出来に味方させたいのである。和紙に墨描きしたものを(雁皮刷りの要領で)すき混む紙に使ってみる。裏彩色のように墨の線も和紙の裏側から滲むように透けて絵の効果に活きないか…と、実験でもある。
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by aura-21 | 2004-09-23 23:16 | 版画
2004年 09月 22日

出会い?

昨日と今日と「出会い系サイトの掲示板を見てメールしました…」と見知らぬ人からメール。
私はそんなところに登録も書込みもしたことがない。そのようなメールが届いても一切無視して削除である。
友人に尋ねると「そのうち架空請求がくるのでは?」と脅かされた。(笑)
その種の架空・不当請求業者の情報を書込むスレッドを予備知識として昨夜遅くまで見てて眼が疲れた。

そのせいか?…さっぱり仕事の進まない一日。いつもの事だけど…



午後、新聞社からの電話。
現在 五戸町「さくら荘」で展示されている作品展について電話取材を受ける。
AURA BBS」にはMさんたちが「さくら荘」を見に来てくれたことが書込まれていた。ありがとうございます。
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by aura-21 | 2004-09-22 23:23
2004年 09月 21日

ジャズ Voice

朝から雨。終日この調子か…。

市内柳町での「Star light JAZZ 2004」The Earth Quartet( 小池 修 青柳 誠 納 浩一 大坂昌彦 )は雨で心配したが特設のテントの準備と開催時間に雨が止んでくれたことで開催された。観客多数がこの雨の中EQのライブを待ちわびていた。かみさんと2人 すこし肌寒い中を40分ほど聴いていたが食事前の空腹に耐えられず途中で抜ける。後ろの方の音は不鮮明だったが前の方は鼓膜が麻痺するような、皮膚に突き刺さるような音量だった。 後ろの方は客同士でお喋りしててそっちの方がうるさかったな…。

大学時代に初めて新宿の「ピットイン」で生のライブを体験したことを思いだした。まだ70年代という時だった…。

焼肉の「野呂屋」でリーズナブルに腹一杯だ。彼女の頼んだ味噌おにぎりが顔ほどもある大きさで笑った。



盛岡の作家長谷川 誠さんが19日に青森まで数カ所の展覧会を見にきていた。残念ながらすれ違うで逢うことはなかった。
「太田美知展」・ACAC「土屋公雄展」・「あおもり版画トリエンアーレ2004」について彼のサイト の中にあるVoiceで感想が語られていた。ご覧下さい。



またまた出会い系サイトのメール。登録してもいないので無視する。
架空請求が来たとしても払うわけもない。
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by aura-21 | 2004-09-21 23:23
2004年 09月 20日

回忌 トリ最終日 美術の非日常?

敬老の日。母は近くの中学校体育館で行われる敬老会へ。すごく大きな紅白饅頭を持ち帰った。夕方のニュースでその模様が放送されていた。いっぱいのお年寄りたち、こんなにもいるとは思わなかった…。
そういえば今日は母に何も敬老なことをしてやっていない。急にこの日だけ優しくするのも見透かされているし。




かみさんは仕事休みながら芝居の稽古で昼過ぎから出かけた。

五拾壹番館で「特別展 13回忌を迎えた牧良介を偲んで -劇団 雪の会の活動を中心に-」を見る。
写真パネルや原稿の展示。私は面識はないし「だびよん劇場」の客としてちょっと見かけたことくらいしかない。かみさんは氏に昔から可愛がってもらったようだ。亡くなってから彼女もその雪の会に入った。彼女には氏の存在は今も大きく思い出の中にあるようだ。





陶による美術作家の小島さんが写真原稿を拙宅まで届けに来てくれる。
10月26日~31日に市内 青森画廊にて小島郁子・首藤 晃・橋本尚恣 三人による展覧会がある。その案内状のための作品写真や評論原稿を準備中。
まだ展覧会名称も未定のままに進めている。各位、よろしく!





今日で「あおもり版画トリエンナーレ2004」の展示も終了したようだ。
拙作も展示してもらったことで、現代版画の抱える問題や(審査の結果ではあるが)アベレージの所在・抽象的作品の多いこと・観客の見方などとの交点でいろいろ考えさせられた。
一般的な視点(というのがどこにあるのかその「一般的」もなんなのか定かではないが)からかなり乖離していると言われればそうかもしれない。版画作家や評論家による出品と審査による閉じられた世界でのお話になったのかもしれない。展覧会を覗き見しても技法のところでつまずくと、本当はその先の「版画とは」に至る入口部分にまでも辿りつけないで終わる。公募展というものはジャンルを限定したものであればあるほど(今回は版画に限定して)先鋭的なところで話される言葉や動向を理解していないと知らない業界のお話みたいなところはあるだろう。専門的なことを垣間見れることのメリットも確かにあるのだが、知ってるはずの「版画」と目の前の「版画」との差…ギャップに面喰らった人が多そうだ。いつまでも黒一色の木版画ばかりでは現代において周回遅れな状態か。これがある種の版画への愛着を裏切られたと思わせたようだ。反発もそこから多くきていそうだ。

わたしにとっては観覧者からの賛同は得られなくとも自らの先鋭に立ち会うことでしかこの先の版画はない…と思い上っている。観光土産品のような悪い意味での伝統版画に凋落することには関りたくない。





美術あるいは芸術が「非日常」的なところにあると勘違いしている人が多いようだ。それはやはり「趣味」に近いものと思っている人たちによるものだろう。
普段生活のための仕事が美術ではない人には、絵も彫刻も版画も現代美術もそれらが飾られている空間も「非日常」であるらしい。日常と非日常の間の皮膜(フィルムのように薄く硬いのか、あるいは霧のように厚いのかは判らないが)を行き来させるような装置が美術かもしれない。「非日常」に行きっぱなしなのが美術ではない。
ディスニ-ランドは非日常を演出しているのではなく日常を忘れさせるところだ。しかしあそこを職場にしているスタッフにとってはやはり日常の場であることに違いはない。美術を職場にしている者にとって…特に作家にとっては、あからさまに美術のある場所こそ日常のど真中である。日常と地続きな場所にこそ美術が置かれることが相応しい。地理的・物理的な位置ではなく、精神的・形而上的位置である。
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by aura-21 | 2004-09-20 23:13 | 展覧会
2004年 09月 19日

実験室 お茶会

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かみさんに車を貸して私は「空間実験室」で降りる。
今日から1階では柳谷暁彦さん個展、3階では「OMA」展(OOYANAGIさんのバックとEBIKOさんの写真による二人展)
1階のコーナーでは喫茶も営業中。辛いタイカレーを食べながら柳谷さんとの会話。今回展示した作品はもっと昔に描いた絵だそうだ。宙づりのプラスチックお菓子缶にはTシャツに絵をプリントしたものが丸められて入っている。私には最近の作風と左程の違いを読めなかったが、初期の作品と聞いて「処女作にその作家のその後のすべてが現れる、と文学では言われるけれども、どうなんでしょうね」と言うとニタニタと笑顔を返された。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない…人ってどんどん変わるから…。

3階の「OMA」展。OYANAGIさん在廊中。三月の私の個展でも見に来てくれたし今日もお話できた。彼女の大学時代の仕事(ドローイング)を見せてもらう。その展開がこのバックだとするとおもしろい。バックの作品は新作だが昨年の実験室でも彼女のバックの展示は見ていた。コラージュを多用しているのがバックではパッチワークになった…とそのまま書くとなんだか腑に落ちてしまうが本人も「昔の友人にはそう解読された」と笑っているだけ。解読の筋道は作品のおもしろさとは別なものだろう。作品が腑に落ちることに意味はない時もある。
周囲には写真パネル。大間の風景と飼猫の写真。大間で写真館を営んでいる方の写真とか。私は猫とか犬を飼い主が撮った写真はもうそれだけで「見たくない」…という個人的偏見に固執している。猫ッ可愛がりした個人的過ぎる嗜好を「ねぇねぇうちのミミちゃんかわいいでしょ?」みたいに押し付けられるのを感じてしまう。我家は動物を飼っていないが近所の小型犬には玄関の出入り毎に「キャンキャン」と吠えられる。うるさい。これだけが個人的な小動物への恨みかどうかは判らないが…どうもペット自慢には身を引いてしまう。(しかし星の数ほどあるホームページの個人紹介には付属して自慢のペット紹介ギャラリーが必ずあるが…可愛くない)…と断った上で「写真の人はテーマを持って撮ってる方ですか?」と聞いちゃうのは失礼だったかな。広告写真ではいろいろ賞を取っている方だそうだ。
帰りにお手製のクッキーを頂く。ありがとう、魚の形だ。大間は「マグロ一筋」Tシャツがオリンピックでも有名になった。魚もそれにゆかりかな。




先日、某人と写真についての会話。現在のデジタルカメラの隆盛はすごいが紙焼きの段階でのプリンターと感光印画紙との出来上がりは印画紙に軍配があがる。写真でもマチエール(質感)は重要な要素。デジタルは写真でも版画でも問題を提起している。デジタル画像は写真か版画かを誰かに決められても意味がないと思う。しばらく行方を静観している。





ARTizanの「お茶会」に早めに着いたらまだ誰も来ていない「今日はないの?」と不安にさせられたが私のフライングだったようだ。15時、7人でお茶会。2名新規参加者あり。
今日のお題は先日開催されたファンドレイズ(資金調達)講演会を聞いてきたメンバーによる概略報告会となった。アメリカにおいてその種の仕事をしている日本人 大西たまき氏の公演を聴きメモから抜粋。アメリカでのことなのでこの日本で特に青森での実践にはもちろん背景も違うことなのだが、読み込み方でたくさんの発見もあるのではないか。
報告者メンバーからも職務上同じような経験から直面した現場の話などが飛び出す。困ったことも多い。

高樋さんに家まで車で送ってもらう。ありがとうございます。
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by aura-21 | 2004-09-19 23:11 | 展覧会