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2006年 04月 30日

体調最悪

体調最悪。気分も塞ぐ。この季節の変り目にど〜んと来る体調への警鐘がある。頭と肩と、おまけに足の方もよろめく。
めまいと耳鳴り。始終あってどうもこうもない。何か決定的に悪い病気の予兆なのか?  と敢然にナーバスな状態。
ずっと家人にも友人にも言えなかったし、まして日誌にも書けないでいたが思いきって吐露。
「明日、病院へ行け!」かみさん&母。なんだか気が重い。

仕事もぜんぜん手に付かない。

連休気分で月の変り目もあやふやにスルーしながら…四月が終わる。
死で始まった四月、メメントモリで再生な四月であった。
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by aura-21 | 2006-04-30 14:56 | 健康
2006年 04月 29日

井戸端へ 桜祭

アート井戸端会議 Vol.1 
休みのかみさんに車で会場まで送ってもらう。
14時から西衡器 ゼフィルス「吉田のり子展」を展覧してから場所を数軒隣の「まちまちプラザ」に移しての井戸端会議。


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パネラーに作家の吉田のり子さん、黒岩恭介さん(県文学館館長・naca理事)、佐々木高雄さん(naca理事長)を迎えてのアート談義。(nacaは最近出来た「NPOアートコアあおもり」の略)

吉田さんの抽象版画が「アート井戸端会議」のスタートを飾った。パネラーも参加された方々も大人なアート談義。

アートにも当然「世代の差異」はある。現代美術は若者だけのものでもない。もちろん一部のシッタカ者の占有物でもない。世代の上がる層の思う現代美術と若い世代の思う現代美術とにどんな違いがあるのだろう。ただ「美術が好き」でいいのではないだろうか。
そうすると必ずしも「抽象礼賛」であらねばならない訳でもないのである。具象・抽象の差はないということだ。そこを間違うといけない。例えばその抽象(具象でも)を噛みしめる時にもその人の人生の厚みがある分だけ美術や芸術の味わい方に差はある。そうした重ねた歳の分量を軽く見てはならない。ただそういうことなのだろう。
この時の井戸端会議の内容に触れていない、後から思い返しての雑感。

井戸端は議論はしても結論を出す場所ではない。考えるテーマを持ち寄りそして持ち帰るところである。考える内容に「アート」も入って関係しているということなのだ。アートの入れ物(作品)は作家が考えればいいが、中身については作家だけが考えるべきものでもないということ。言葉が足りないが、そういう感じである。

16時すこし過ぎて井戸端会議終了。
みなさんもうすこし話足りないというか飲みたいモード?のようだったが私はそこで失礼した。

運動不足で未だに引きずる左足のアキレス腱。体調がすぐれないのは足ばかりのせいでもないが、まず動かせるところからか。歩いて家まで…のつもりで出てきた。
新町のカドリーユに注文していたモールスキンのノートが届いていたので寄り道。
帰路、桜川町の桜並木、まだ蕾。沿道の通行車両を封鎖した通りには出店が並び町内会手づくりの桜祭。
人出はあるが桜はない。桜の花を求めて出てきたはずの人なのに。
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by aura-21 | 2006-04-29 14:48 | ART
2006年 04月 28日

猿倉温泉

晴れている。すこし暖かい。

昼近くからセンターへ。レジデンス中の吉田さん池田さんを訪ねる。来客や面談に市街地では個展中の吉田さんはお忙しそう。
制作中の一時 昼食を一緒に近くのうどんやさんで。昼食ついで?に「ちょっと八甲田雪の回廊を巡ってみましょう」とお誘いしてみた。
途中の雲谷高台から市内遠望。岩木山展望台でも遠く荘厳に浮かぶ岩木山が一瞥出来た。萱野高原、八甲田ロープウェーを抜けて酸ヶ湯温泉。
吉田さんは多摩美大時代によくこの八甲田にも登山で来たそうだ。懐かしさで酸ヶ湯の写真をたくさん撮る(しかしカメラをセンターに置いてきたので携帯で撮っていました)。そこから雪の回廊へ。山登りで何度か来てもこの時期の八甲田は始めてだそうで車内でさかんに感動されている。睡蓮沼ではちょっと車を降りてみたが風が強く冷たい。途中の脇道から猿倉温泉へ入る。猿倉温泉もまた懐かしい思い出の場所だそうだ。「ちょっと入って挨拶してきます」と宿に入ると当時を知る懐かしい顔の方は現在のここの社長さんでした。「温泉に入っていきなさいよ」と誘っていただきました。(ここの温泉には私初めて入ります)いいお湯でした。明日から宿のシーズン本格始動で忙しくなる猿倉温泉。「今日でよかったですよ、懐かしいなァ」と旧交を暖め、温泉で身体を暖めて。
湯冷めしてもいけません。車の暖房をあげて谷地温泉まで行ってそこからUターン。同じ道をセンターまで引き返しました。



19時からの弘前 harappaでのレクチャーを聴きに行くつもりでいましたが、温泉の硫黄成分が効き出して眠気が…
帰宅して布団に包まってしまいました。ごめん!Tさん
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by aura-21 | 2006-04-28 14:47 | 温泉
2006年 04月 27日

気分は最低

尻に火が着いて椅子から離れなくなる(あくまで比喩です ご心配なく)
試し刷り。でもなんだか乗らない気分。困った。
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by aura-21 | 2006-04-27 14:46
2006年 04月 26日

版画/版画

快晴。かみさんを仕事に送ってから国際芸術センター青森へ。

昨夜からセンターに滞在し版画制作を始められた吉田のり子さんとお友だちの池田さん。
今日は午前中にちょっとだけお手伝い伺った次第。池田さんは腐蝕銅版を、吉田さんは腐蝕以外の金属版画でこの機会に大きなプレス機を利用して作品を作りたいという。
版に使える材料探し、ホーマックでアルミの板を購入。

吉田のり子さんは市内のゼフィルス(西衡器)にて5月7日まで個展開催中です。



午後から版画教室。仕事部屋に掃除機をかけていて聞こえなかったが受講されるMさんは10回くらい声を掛けていたそうです。失礼しました。
エッチングとアクアチント。
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by aura-21 | 2006-04-26 14:45 | 版画
2006年 04月 25日

割り切れない余りの部分

前衛に対して後衛というのだろうか。何を前衛として何を後衛とするのかも判断する人それぞれでもちろん違う。
現代的なものと前近代的なものが入り混じる地方では前衛/後衛はどう在るのだろう。独自と評すればそうとも言えるが新奇に映るものをとりあえず前衛と呼んで一括りにしているようにも感じられる。

前衛芸術と呼ばれる美術史上の括りは別なところにあるのだがよく現代美術と混同されているようだ。「コンテンポラリーアート」の訳である「現代美術」。その価値のひとつに問題提起と参加体験がある。展覧会とセットで作家の(ときには作家本人の)作品解説とその作家や作品にちなむワークショップが開かれている。見て参加できるのは理解の近道かもしれない。

理解と消費。理解した段階での安心。理解できない部分というのは理解の先にいつも残されている。あらゆる手を尽くしても未知の部分が何処までも割算の余りのようにある。そのことの重要さに眼がゆく。



リンク集をチェック。リンクが切れていたり既に無くなったり移動先が不明のサイトがある。URLの変わったサイトは再度張りなおすことに。
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by aura-21 | 2006-04-25 14:46 | 雑感
2006年 04月 24日

全国アートNPOフォーラム

1日の時間を有効に過ごせないままに日々がだらだらと過ぎてゆく感覚。
パソコンの前から離れないとダメだわ。

夕食後に駅前 アウガ 5F 小会議室。
「全国アートNPOフォーラム in あおもり」実行委員会 立ち上げ式 へ。

入った瞬間に「やばい!」自分が異空間に放り込まれた感覚に落ち入る。
ロの字に組まれテーブルに20数名が整然と参集。ネクタイやスーツをピシッと着用のフォーマルな方々。お役所関係、報道関係、大学や各種専門ジャンルの方々…みなさま立派な社会人。
場違いに(. .!)
配られた資料に書かれた肩書きもみなさん長いのですが、私については「美術家」の三文字。いかにも「うさんくさい」と自分でも思う。

参加者挨拶、アートNPOフォーラム誘致経過と事業目的の説明、各プロジェクトの説明(複数の柱あり)、予算案概略説明、今後の課題と展望及び運営について、質議 etc. (次第より)

社会とARTという視点は最近とみに高まりを見せている。今年7月開館の青森県立美術館もその大きな牽引車であるし、この流れを市民としても取り入れ自らARTを社会活性化の原動力に繋げたい思いも強い。日本全国に約3,000あるというアート系NPOの全国大会(4回目の今年は青森と大分の二ケ所で会期をずらして開催される)。青森での10月14日、15日のフォーラム当日に至る3ヶ月にさまざまな連続アートプロジェクトで彩り、そこで試行されるARTを本市独自の継続的ムーブメントに育てたい思い。

時期を同じくして弘前では「AtoZ」がある。また進んでいる他との企画とも提携を模索した動きが提案された。フォーラム会場の八甲田丸船内貨車格納庫というのもどこか廃墟的で創造的イメージが拡がる。駅や列車を利用したセッションも提案された。短い準備期間で多くの積載したいプロジェクトが提案された。実現できるとすばらしい。次に繋がることに関りたい。

2時間の会議。実行委員長、副実行委員長(2)選任。



上記のような委員会というものには過去数回立ち会う機会があった。しかし今回ほど継続的に(アートNPOフォーラムの全国大会というファイナルはあるものの)その枝葉(といっては失礼ながら)の部分にある企画で長期展望を見込んだようなものはなかっただろう。ナンシーでも弘前のナラヒロでも会期終了で当初の成果が(期せずして)次に繋がってしまった形なのではないだろうか。
思いがけず産まれた余剰という部分から再度目標を拡げ展開した時、野望が錯綜し分散し濃くなったり薄まったりすることもあるようだ。

最近のこうしたARTの市民運動的活動を見ていると、時代を見越した着眼点と目標、現代社会の中でどうすれば事は実現可能なのかという手段に精通しているのは作家などよりもむしろ彼らにあるのではないかと、ふと実感させられる。例えば絵を描いたり彫刻をするスキル以外の専門スキルを持つ人々の台頭と使命。
絵筆や鑿をふるう事だけが表現ではない…「表現とは」ということを問いなおさなければならない変革期か、ますます考えこむ。
古臭く聞こえるが、モノを作ることは閉じ篭って孤独に対象と向き合わなければならない時間が必要なのだが、成果物を社会にむけて発信する時には別な社交性を必要とする。(まぁマネージメントを委託する巨匠もいる世界だが) アーティスト・トークの開催をよく目にし耳にするが、作り手/作家の言葉や態度も作品と一緒の意味を持ちはじめて認知されつつあるようだ。作って人前に出ない作家ではオーディエンスが物足りながるような風潮もあるのだろう。時代か。
社会的にも政治的にも資金調達力にでも、世間知らずな面は作家側にこそ多そうな気がする。
もちろんそうしたことに精通している作家もたくさんいる現代。彼らはそうしたマーネジメントやキュレーションを自らこなせない時にはそういうスキルを持つ人々と連携を取ることの必要性を知っている。

なぜこんな当たり前なことをあえて書くかというと、そういうことに気付いて作家以外と創造の連携をとろうと行動する作家がここには少ないから。
自分のことも棚上げしたまま言えないが、どちらかというと孤高ぶって作ることに専念したいタイプだと思っている。
だから、かもしれない。自身を責める…

書いてて段々気分が塞いできた(笑)
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by aura-21 | 2006-04-24 14:40 | ART
2006年 04月 23日

春の散歩 食事会

快晴。春らしい陽気。

10時にかみさんの実家へ。かみさん、車を使いたい模様。運転して届ける。
桜祭り近い市内の合浦公園に私は降ろしてもらい散歩しながら帰宅。リハビリというのでもないが運動しないと、と思いとりあえず歩く。が、どうしても健脚側に余波。


帰宅後に仕事場に篭る。


17時過ぎてかみさんとお義母さんが来る。
明日は母の誕生日である。それにちなみ時間を作って集まれる今日、お義母さんも交えて食事会。外食で中華。
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by aura-21 | 2006-04-23 14:39 |
2006年 04月 22日

コレクション拝見

晴れ。
午後から高校時代の先輩 Nさんの家を初めて訪ねる。Nさんに届いた同じく高校先輩の古山浩一氏のドローイング、デッサンなど100 点近くを見せてもらう。
個人で収蔵している作品。高校時代からの長い付き合いからNさんが古山さんの人柄と仕事に惚れていることがひとりの作家のこれ程の作品量収蔵に繋がる。今回は拝見できなかったが大きなタブローも多数(飾れない程)収蔵しているそうだ。次回には是非拝見したいもの。と、二時間近くお邪魔してしまう。


今日も制作はあまり進まなかった。
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by aura-21 | 2006-04-22 14:38 | ART
2006年 04月 21日

三七日の法要

10時からかみさんの実家でお祖母さんの三七日の法要。お義母さんと叔父さんと我々の4人出席。
今日で喪が明けることになる。

今夜からまた週末を実家で過ごすかみさん。私はノンビリと出来る、命の洗濯DAY。


モールスキンのノート 1冊取り寄せを頼む。
刃先の鋭角(30°)なカッターの替え刃を買う。
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by aura-21 | 2006-04-21 14:37