AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2009年 01月 31日

県美「小島一郎 写真展」

昼飯に伯母の知り合いが開店したレストランでハンバーグ定食。



県美へ。小島一郎展はとてもよかった。
もちろん彼の写真が好きだったこともあるのだが。

小島の写真自体は何度か観た事もある。しかし今回の展示は確実に違った。
学芸員の高橋さんを中心としたその力だろう。
単に写真を見せることだけではなく、38歳で夭折ともいえる写真家の人間性にまで出逢えるような会場作りに驚かされる。この写真家への特別な想いが垣間みれる展覧会になったのは学芸員と写真家が同郷であるというだけではない特別なものを感じた。
小島一郎の写し撮った「作品としての写真」と、彼や彼の周囲の人物たちのポートレイト。これが会場への導入部分にあることで彼の時代と彼の人生が非常に近しく同時代的にすら感じられる会場構成。
それは例えば銀座での当時の小島一郎写真展個展会場の再現構成でもあるかのような部屋に出ている。「やられた」と感じた。まるで当時のこの個展会場に居合わせたかのような記憶を埋め込まされた。写真家本人が亡くなった現在、こうした構成を(単純に写真展だけをするのではなく)出来たのは学芸員の作家や作品へのまさしく愛だろう。意気込みである。
作家や作品を突き放し対象化し冷徹に判断・研究するだけではない姿勢がある。その意味でも素晴らしいし、館と写真家の「共同作業」だと感じた。

現在ではあたりまえだが、写真は見たままを写し撮るものという時代ではなくなった。デジタル処理で簡単に変えられる。撮られた被写体はその素材に過ぎない。小島一郎も写真のそうした操作可能な側面を十分に理解し革新的(確信的)に応用した視点で作品作りをしたのだろう。トリミングと暗室処理。その過程であの冬の東北の暗澹たる風景と人とのイメージが完成され強く観た人々のイメージの中にも「青森の冬」を焼き付けたことだろう。確かにそれは現実かもしれない。そしてより「リアル」でしたたかに抽象的でさえある。冬の青森像のエッセンスを抽出しえたという意味で。

遺作となった写真2点。カラー写真である。暗き水面に逆さに映った樹影。そして誰も乗らない水没したボートが紅葉を冠って水面にある。撮った写真家の不在が静謐にこだまする。精神は死なない。


常設展を見る。新年から展示替え。
清宮質文の木版画が好きだ。この青森県立美術館でも収蔵してあり今期の常設で飾られていることを楽しみにして来た。たぶん今回の小島一郎展でひき起された気分の高揚が、スタティックな清宮の版画を見るのには合わなかったのだと思う。版画を見ていても何も見えてこない。好きなものを見る時にはそれに沿った気分で、というのもあるのかな。
この版画は、また別の機会にゆっくり見に来ようと思った。




夕刻に「ジターヌ」へ。拙作の搬出。
お世話になりました。ありがとうございます。



2009年の1月が終わった。
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by aura-21 | 2009-01-31 04:31 | ART
2009年 01月 30日

井戸端

午後、買物。洗剤切れ。ホーマックへ。


喫茶「知恵の実」へ。
マロンティーと抹茶ケーキを食べながらノート。
この時間がいい。落ち着くなぁ。マロンティーは初めて頼む。
ティーポットで出てきたので満喫。


夕刻よりアウガ5階にてアート井戸端会議。
車で行く。会場が判らずSさんに電話。
「今日は私の誕生日なんだよね」と電話の向こうのSさんはなんだかご機嫌?
場所を教えてもらい到着。

パネラーの高橋綾子氏( 名古屋芸術大学准教授)と席亭の黒岩さんが到着。

野外アートの課題:プロジェクトが問うもの 「国際陶磁器フェスティバル美濃'08 土から生える」から「岐阜アンデパンダン・アートフェスティバル」(1965)まで
「岐阜アンデパンダン・アートフェスティバル」のお話から入る。1965年当時の写真資料を観ながら、地方(でも当時としては全国規模に波及する意味を持つ美術展)のその実相に迫るお話は興味深い。

「野外という場が作家を惑わす」という部分が面白い。
野外展は私も数回体験したが、普段の閉ざされた空間・画廊とは異なり、そのロケーションを作品にうまく取り入れたものになると成功だが、概ねその「野外」に振り回されたり、机上プランと現場空間の様々な差を見誤ったり、展示してみて感じる計画とのギャップや違和感にぶち当たる。時としてその場の雰囲気に巻き込まれ普段の自分の仕事と違うものを持ち込んだりして通用しない結果を味わうこともある。この部分は聴いていて非常に得心させられる部分でもあった。

、、
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by aura-21 | 2009-01-30 01:22 | ART
2009年 01月 29日

版画から

あまり版画だけにこだわらないつもりでいる。
版画から別な表現に繋がる道筋をいつも考えている。
まだまだ夢想の段階かもしれないけれど。
立体、コラージュ、アッサンブラージュ、、、
紙そのものへの関心もある。
どのようにそれらのモヤモヤしたものが結実するのか。


紙とインクの関係のように、紙と鉛筆の関係も同じく 「紙へのしみ込み方」に注意がゆく。鉛筆の粉っぽさよりも紙の表面の繊維質へ擦り込まれ一体化している鉛の微粒子。
鉛の黒さと紙の白さ。
私の好む世界がそこにある。


作家の資質のようなものはその作品(たとえ画像でも)を一瞬観ただけで判断されるもの。
「オヌシ デキルナ」と思わせるモノのあることは観ていて安心できる。
惹き付ける力だろう。、、、、そーゆーの 欲しい、、、、
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by aura-21 | 2009-01-29 14:06 | 版画
2009年 01月 28日

ひょひょいのひょい

版画は技法の存在がその創作に大きく関わっている。
だがその技法に飲み込まれないように付き合っていかなければならない。


ひょいと顔を出したもの。
そんなものの中に何故だか引っ掛かるものがある。
眼や脳、センサーやセンスを通過して手の先から紙の上に描き残されてある「ひょい」感じ。





PS2で手こずっていたソフトを最後までクリアー。
達成感よりも疲労感。振り回された感。
しかし初級モードでのクリアー。上級モードは、、、止めておきます。





昨日の日誌。
疑っているのは行政という組織ではなく、それらを過信している自分自身であるのかもしれない。
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by aura-21 | 2009-01-28 13:38
2009年 01月 27日

閉鎖

版画よりもスケッチばかりの時間。
かといってそのスケッチが即版画の原画になるわけでもない。何か練っているのだろうと思う。何かを。何だろう。手の動き具合から直結して出来上がる線や形。それら全部を見張るような、それでも視線からするりと抜け落ちてしまうものが確実にあることを認識する。手と頭。
時にガツガツと、時にぼんやりしきって。



ジターヌへ。自作品をあらためてしげしげと。
発見もある。何故だろうか。幾つか次の制作に繋がるかもしれない発想・発見。




夜、版画家のKさんから電話。
某町立の版画施設が今年度いっぱいで閉鎖になりそうだ、、という情報から引き起こされる様々な話題。町の財政上の問題も大きいのだろうが、その施設の存在意義が町に十分に認識されていなかったり、施設のハードを能動的積極的に活かし尽くせなかったことも要因ではないだろうか、とも愚考する。私は版画に末席でかろうじて関わっているようなあくまで外野的な立場。現場当事者の立場や考え方もあると思ってはいるのだが、、、

必ずしもそうした専門施設の存在だけが創造の場ではないことは承知している。しかし専門的施設があることで繋がり際立つ創造の土壌もあるし、創造性の誕生もあるだろう。施設が完成するまでの周囲のエネルギー注入時間としての協調や収斂も熱い。ために一旦はアンチなスタンスの声がかき消され真空になる瞬間もあるだろう。全ては一極に集中することで生まれるのだ。見える形でのコアな施設の誕生である。施設に託した周囲の想いはかなり大きいのではないだろうか。それが変節、縮小、消滅あるいは閉鎖するのである。これら施設の当初の目的の変節や、まして閉鎖という事の危険感を思うのである。
変節。あたかも当初からそんなことはなかったかのような言説を聞いたりもする。政治である。


版画はここ青森市でも「版画の街」と呼称し特徴ある街づくりに一役買おうとしている。どのように「版画」を活かそうとしているのか、実質的なそのコンテンツは何か。単なる傍観者ではなく考えたいことだ。

昨日のhさんから聞いた話。九州の某市立美術館ではトップの交代後に美術館から「現代美術」のコンテンツが消えたそうだ。トップの趣味か? 組織 or 政治的な何かの作為、あるいは一部の個人的嗜好の問題があったのか?
公私混同している人もいるということか。

版画に限らず、現代美術も、、たぶん音楽も?(日本海に面した某施設も現在指定管理者を探しているとか、、それは建設的な話なのだろうか)、、「芸術」というもの自体に財政逼迫の余波は一番に押寄せるということか。財政難を持ち出すとこれらのカットは「しかたがない」と納得させられそうだが違うのではないだろうか。これらは「文化」として、「命を育むもの」として存続させなければならないと強く思う。行政には事業的にも財政的にもその積載容量が確かにあるだろう。こうした財政を理由に切られる部分があることは、元々の外せない根幹のところにはまだこれら(文化と呼べるべきもの)が深く理解され設定されていなかったことの証左ではないだろうか。何かあると簡単に手のひらは裏返るかのようである。文化は他力任せでは何も生まれない。とくに行政が文化・芸術に主導的過ぎる立場をとることにはとても慎重に疑ってかかる必要があるだろう。

目に見えないものの重要性を思う。
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by aura-21 | 2009-01-27 11:37 | 版画
2009年 01月 26日

ドライブ

東京から来たhさんとドライブ。
写真作品を作っている方だがもともとは絵画を専攻していた方。
昨日は県美の小島一郎展を観て青森泊まりだったそうだ。
泊まったホテルまで行きピックアップ。夕方の便で帰るまで特に予定がないそうなので、拙作小品展(ジターヌにて)をご覧いただくためにご案内。開店まで時間があるので車を走らせながらいろいろお話してたら三沢近辺まで走ってしまった。
小川原湖の道の駅まで行って昼。時間的にあぶない(笑) Uターン。


軽く蕎麦を食べてから珈琲専門店「ジターヌ」へ。


都内在住の美術畑の人との会話はいろいろな情報を含んでいる。
地方にいては知らないこと、気付かないことを気付かせてもらういい機会。
話に夢中になっていたら飛行機の飛ぶ1時間前。慌てて店を出る。

なんとか間に合いました、飛行機。




帰宅前にガソリンを入れ古着屋を覗く。セーターを買った。
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by aura-21 | 2009-01-26 13:34 | ドライブ
2009年 01月 25日

ゲーム

飲み、、というよりも、夜更かしで昼過ぎ起き。

ここ最近、PS2で対戦型ロールプレイングゲームに夢中。
シーンを進める程やめられなくなるのが困るんだわ。
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by aura-21 | 2009-01-25 13:17
2009年 01月 24日

あかり新年会

昨日までの天気が一転。雪。

夕刻より新年会。
会場はお寿司屋さん。2階の長いテーブルで晩餐会風味。食事中心。
先月の「あかりのありか展」に参加した方々や次回参加をお願いしたい若い作家さんを交えて。
私は幹事代行、、というか集金係。
先に会費設定ありで会場を後からはめ込んだ経緯に飲み代のはみ出た分(千円)再徴収、すみません。飲む方・飲まれない方がいるので公平に徴収したいもの、出来たかな、、。

2次会はその寿司店のお隣。
珈琲の方、ビールの方。軽く1杯づつだが半数ほどが参加。

三次会、ねぶた師の竹浪さんに付いて彼のスタッフが関わる居酒屋「五郎」へ。
「ねぶた」という祭。組織的であり個人的でもあるねぶた造型について、作り手側にいる竹浪さんにいろいろ質問させてもらいながら美味しいお酒。彼は不躾な質問にいつも真摯に答えてくれる。「ねぶたが好きだ」ということこそ氏の大きな答である。

「あかりのありか展」は「あかり」をモチーフにして各作家が取組んでいる。電気のスイッチを入れたりライターで点火したりすることだけで「あかり」ではないことを今展から強調した。自由な反面、それが普段の自分の作品とどう同じだったり違ったものだったりするのか。
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by aura-21 | 2009-01-24 12:34 | 飲・呑
2009年 01月 23日

通販

暖かい青森の気候が続いている。


しっかり寝坊した。
宅配業者の訪問する声で起きだす。
家人はとっくに外出中。家には私ひとり。

宅配の中身は化粧品だった。
よく健康食品も買っているようだ。
私も最近はネットで買物をしだした。
小さなものが多く郵便小包や封書で届くサイズ。
一番最近の買物は楽天で洗浄便座の脱臭剤部分の交換品。7年間はもつものを洗ったら融けてしまい購入。本体が既に生産中止になった家電。ネットで部品番号を入力して安めのところを探した結果。まぁ、私が買うのはそういう類、、、

あとカトラリーが気になってるかな。
銀のスプーンを初めて頼んでみた。届くのを待っているところ。


簡単に食事を済ませて車を出す。
県美へ。展覧会を観るのはまた今度。
観たい企画展示であり、常設展の方も気になる。今度、ゆっくりと。
nさんに会い「あかりのありか」のDM代金をお渡しする。



夜、初めてアマゾンで書籍を注文してみる。
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by aura-21 | 2009-01-23 00:05 | 買物
2009年 01月 22日

雑用とか

暖かい。

雪も街中のは非常に少ない。これが冬の青森か?!と思いたくなるくらにシアワセ。
しかしいったん降り出すと空の底が抜けたかのようにずんずん積もるからあなどれない。


仕事部屋に入るとなんとなく仕事した気になる。
スケッチ。ドローイング。

デジカメが壊れてて画像は携帯シャメ経由。これも不便。




夕刻にNOVITAへ。
「あかりのありか」展の残務。会計の〆。
知らない間に事務局員。集めたお金の支払いをしないと。
とはいっても簡素。DM代と看板のカッティングシート代。


暮れに忘年会を開いた会場はそのまま放置されていた。
使った食器を洗う。お世話になります森内さま。
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by aura-21 | 2009-01-22 23:49