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AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2004年 07月 11日

AIR最終日

雨。参議院選挙の投票日、家族で投票所へ。



午後から国際芸術センター青森へ。本日AIR展の最終日、14時からのアーティスト・トークを聴きに行く。13時半に着いて作品をもう一度見る。中瀬さんとも久しぶりに会場で会えた。私自身、今回のサポートでは何も手伝えなかったことが心苦しいのだが、逆に作品展としての鑑賞ではゆっくり味わうことが出来たのではないかと思う。


作品は観る者にたくさんのことを語りかけてくれるが、そのことを言葉に置き換えた瞬間に違ったことになり掴みそびれるということもありえることと判っている。本当は作品について何も語らないことも必要なことを知りながら、頭の中であえて言葉にしてみたり作家の言葉に耳を傾けることが必要だろう。眼にも耳にも感覚を研ぎ澄ますこと。

偶然にも東京からギャラリストの土生さん(トキ・アートスペース)が来ていた。聞くと今回参加しているマリーンさんは昨年土生さんの画廊で個展をしたことがある作家だった。
今夜は青森泊りとのこと。

トーク終了後、残った数人でマリーンさんのインスタレーション作品の中に入ってお茶。その後に彼女の版画作品を見せてもらった。もともと版画から出発した仕事が展開して立体やインスタレーションになったマリーンさん。版画そのものの展示はなかったが今回のインスタレーションの部分にも市内小学校や保育園でのワークショップで集められた子どもたちの足型や手形のスタンプ(版画ですね)が使われている。
大きな多色のエッチング作品は布のマチエールをソフトグランドで版に転写したものを展開している。祖国ゆかりの図形デザインや植物を緻密にエッチングで描いたもの、中国の文字を取り入れたものなど、技法としては知っていることも作家のバックボーンと意志により随分別な深さを見せてくれるものと感動した。


ACACでのレジデンス展は今日で終わるが、作家によっては別なかたちでここ青森にて展覧会がひらかれる。
中瀬康志さんの個展が7月27日〜8月3日の日程で新町NOVITAで開催されます。

# by aura-21 | 2004-07-11 14:21 | AIR
2004年 07月 10日

そうめん

快晴、今日も暑くなった。
梅雨明け宣言は出たのだろうか?

午前中、母の病院の送り迎え。病院の駐車場で本を読みながら待つ。
いろいろ検査してまた薬をたくさんもらってきたようだ。



昼食にそうめんを作る。風鈴の音が響くなか3人で夏らしく食す。
午後からかみさんの実家へ。拙作の1点を玄関に飾ってもらう。入った人の眼には嫌でも飛び込む位置。
ニトリに寄って座椅子を買って帰宅。
かみさんは整骨院へ。
なんだかみんな病院通いだな…。





なにもしていないような自分。来週からパネルを作る準備をしないと…と、ぼんやり頭の隅で考えているのもある意味で「仕事」なんだけどな。(自己弁護)
この感覚は昨日の佐藤さんなんかはとっても解ってくれるだろう。佐藤さんも同じようなことを話してくれていた。

# by aura-21 | 2004-07-10 14:16
2004年 07月 09日

佐藤さん打合に同行

朝方のバケツをひっくり返したような雨の音で眼が醒める。
かみさんを仕事場に送る。今日は彼女の誕生日である。

10時、青森駅へ。パリから個展の準備で日本に帰っている佐藤 達さんを迎えにゆく。東京と実家のある宮城とそしてここ青森でも開催される個展のための打ち合わせ。打ち合わせまでの間に安藤忠雄設計の建物(国際芸術センター青森 ACAC)と棟方志功記念館に立ち寄りたかったというので早速お連れする。

9月に青森市の五拾壱番館ギャラリーでおこなう個展のため高木さんと打合せ。その個展の週は丁度「版画の街 あおもり」でもあり展示作品には版画を中心に据えよう…ということになった。私にもとても楽しみであり興味深い展示となるだろう。
打合せ後、帰りの汽車の時間まで五拾壱番館でいろいろおしゃべり。佐藤さんとは東京で22年前に出会った。TSAの先生方とも親しくパリの佐藤さんの自宅には斎藤義重さんも何度か訪ねられたという。その当時のエピソードなどを伺う。佐藤さんは丁度私のひとまわり年上。でも昔からとても気軽に対していただいている。盛岡の共通の知人もいたりして、話をしていくと随分近いところにいらした人なんだな…と思った。

新しく出来た防波堤の先まで出て海側からアスパムを見るロケーション。駅まで送って次回の再会を約束して別れる。




21時、芝居の練習を終えたかみさんを迎えに出る。一緒に飲みたかったのに車ででてしまい「気がきかないヤツ」と拗ねられる。結局ぐるぐると車で走り回って23時近くに「焼肉」に決まる。ついつい食べ過ぎ…

# by aura-21 | 2004-07-09 14:08 |
2004年 07月 08日

音信がないなぁ

曇り、一時雨。

東京より来青する友人(作家)との連絡がとれず今日・明日の両方で待機していたが予定の時間でも連絡がないところをみると明日なのだろう。
こういう時は制作に集中し在宅。版画7点を刷る。

明日の朝に駅へ到着する旨のメールが入り一安心。

# by aura-21 | 2004-07-08 14:05 |
2004年 07月 07日

あおもり版画トリエンナーレ 「作品」

快晴。今日も蒸し暑い一日。



「あおもり版画トリエンナーレ2004」
応募作品を梱包。搬入場所である市内の佐川急便へ直接持込む。市内在住なのでそこまでの輸送料がかからないのはすこしオトク。前もって送付してある応募書類から集計された出品者リストがあり佐川で受付順にチェックしてもらう。県内では私は早い方だったようだ。

応募者には学生が多いという。今回は最大サイズが額装外寸で100×130cmと大きい。「木版以外のジャンル」への応募にはプレス機の存在とサイズが大きな鍵だ。大学などの施設にあるものを使える学生には応募者も多いだろう。

今回の応募総数は約600点という。前回の約900点からいうと応募数は随分減った。告知の遅れが影響したのか、規定サイズの大型化か、…何が影響したのか。
国外からの応募も興味あるところだが…。
全ては蓋が開いてみないと解らない。



夕食にカレー。食ったらやたらと眠くて21:00ころには寝てた。




作品とは…
私は普段 人の作ったものを「作品」と呼んでいる。ジャンルの違いによっては直接の制作に携わった者でも作ったものを作品とは呼ばないことにしている人もいるようだ。建築設計者や建築士の方々などで時にそういう場合がある。施主の意見を聞いてそれをカタチにするのが彼らの仕事なので、100%自分の思いどおりとはいかない。他からの様々な条件で出来上がっていることが彼らの意見の根幹にある。その意見は尊重するべきことである。
(作品と呼ぼうが呼ぶまいが作った人がそう考える…ということだ)
安易に作ったものをすぐに「作品」と称して人目に曝すというケースも多く目にする。そうした「なんでもが作品」な状況にも疑問を持っている。
特権的な人が作らなければ「作品」と呼ぶな…と言っているのではない。作家であることと作品があることの相互補完がほつれる点は存在しているのではないか…と思っている。
作家が特権であるとも思っていないのだが、、、。

さて…私が作品と呼ぶのは そこに人の思考や手技が入り、作った本人(集団)以外へ向かってなにか発言・発信をしている場合の制作された仕事を指して言う。予算や規模やクライアントの有る無し、彼らからの発言力などは各々条件を背負っている作り手の環境と手法(絵画・彫刻・建築・音楽・文学)の問題だろうと思っているのだが。

# by aura-21 | 2004-07-07 02:57