AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2001年 02月 01日

情報量

情報量が多いことが質的にも良いかというと[そうだ]とも[そうではない]とも言えるが、絵に関してなら私は1枚の画面の中の情報量を少なく制限した方が良くなるんじゃないか…と考えている。エレメントをいっぱい詰め込んだ絵はバランスをとること自体があまり上手くいかないようで、そのほとんどが言いたいことをぼやけた感じにしてしまう。


昨日までの絵における根拠のない順調な感覚は急に挫折感へと180度変ってしまった。上手くいかない苛立たしさでどんどん加筆するごとに見つけたことが幻のようにどんどん消えてしまう…どころか、マイナスなくらいだ。ちょっと浮かれていたか。


「ミニモニ」じゃんけんぴょん? なんだ〜?、それ〜??
聴いててもヒヤリングが出来ないよ〜…
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# by aura-21 | 2001-02-01 01:35
2001年 01月 31日

ars longa, vita brevis

「ars longa, vita brevis」…芸術は長く人生は短い…古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉だ。永遠のような長さに感じるじゃないか? 終わりの見えないような長さ。ついでに始まりも見えない…私には。


今月も今日で終る。21世紀が1ヵ月だけ過ぎた。その1ヵ月で新たに始まったことってなんだろう。個人レベルでは世界中で常に何かが始まっている(起っている)。まだ情報として普遍化していないものや個人の脳内にヒョイと浮かんでまた潜在意識まで沈んだものまで。絵でも言葉でも置き換えられないすべての始まった新しいことを極力歓迎。
私?…私は…まだまだ時間がかかる。
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# by aura-21 | 2001-01-31 23:33 | ART
2001年 01月 30日

影を落とす

「影を落とす…」 今描いている絵では観た人の心の何処かに影…或いは陰…を落とすようなものを描きたいと思っている。「かげ」というと一見ネガティブなことと受け取られるかもしれないし漠然としているけれど、投影するもの、観ても気づかないくらいに記憶の表面に出てこない深いところに刻み込むようなもの…を、と思っている。
なんだろう、理想的にはサブリミナルでデジャブーな??…ような。う〜ん、何を言ってんだ? それってなんだ?!


放電する言葉ってある。詩でも唄でも。文学でも評論でも…。その放電って、例えば「伝染する」ような力のあることを言いたいんだけれど。そんな言葉…さ。
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# by aura-21 | 2001-01-30 23:31 | 雑感
2001年 01月 29日

ガガガガー 乗ってる?

「ガガガガーッ、ズズッガリガリ…バキッ!」
雪道での車のすれ違いは本当にむずかしい。目測を誤って運転席側のサイドミラーが塀に擦れて取れてしまった。根元から折れてる。塀についた雪は意外に薄くて雪があるから大丈夫だろうと寄りすぎたのが間違い。ほとんど塀のコンクリートをサイドミラーで撫でたようなもんだ。ドアまでは擦れていないようだが痛い出費だ。幾らぐらいだろう。接着剤じゃむりかな〜



昨日から少し絵の方がノッテる。傍から見たらどう映るのか判らないけども、自分ではなんだか楽しく描き進めている…と思っている。
絵のスタイルが決まりだすと努力して次の新しいところへ突き進まなくなるんじゃないか…と危惧してた。小さくまとまってしまってはイケナイ。新しいキャンバスに向かっても描くたびに完全にリセットし0から始ることは不可能…とは解っている。作風を自分で思い込んで決めて自縄自縛にフィックスすることも愚だが、自分の絵にはいつも自分自身がつきまとうのも事実だし無理をして自分のものでもない借り物のような絵を描くこともない。
「可能性」と書くとそれで終わりだが、いつも不分明な自分と向き合っているということ。絵を描くのは自分と向き合うエネルギーが要る。
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# by aura-21 | 2001-01-29 23:30 | 版画
2001年 01月 28日

昨日の感覚

昨日の感覚が自分のものじゃなくなる…というのは毎回のことだ。今はまだ酔いしれていられるが、自分を陶酔させておくこともときにはいいかもしれない。キャンバスの前に進んで立っていられる…という意味で。よしよし…



デザインなんて実感したのは少年雑誌の巻頭カラーに載っていた空想未来科学の戦艦や水陸空自由自在の万能戦闘機の美しさからだったように思う。「流線形」なんて言葉はその時に知ったような気がする。パソコンやIT技術が軍需産業の必要性から生まれて進歩したことは誰もが知っていることだがデザインにもそんな時代があったということ?



「本」という手触り。
「活字離れ」というがこうしてインターネットの中では活字を読む機会の方が多い。必要に応じてマニュアルやサイト/ソフト掲載の情報誌、メールも読まなければならない。インターネットをしていると読まなければいけないものが増える。(活字というよりもフォントだが) 読みはするがモノとしてはない。欲しい本には活字情報やビジュアル情報と同時に紙という素材が手触りとしてある。人はまだ手触りと一緒に情報を取り込む段階から完全には離脱できてはいない。だから本は無くならない…と、言われる。情報の内容だけならば取り出す形式は(朗読してもらうとかコピーやプリントアウトするとか)たくさんあるだろうが、(もしかしたら読了しないまでも)「本」そのものとして所有することは、内容とは別に手触り感を慈しんだり弄んだり匂いを嗅いだりしてフェティッシュに喜べることも多くあるだろう。(21世紀末のテクノロジーや未来人の感覚の問題でもあるだろうが)マチエール・テクスチャー・表面の触覚をモニターなどにとって替られないうちは、「本」という紙の束はまだ急激に駆逐されたりしないだろう。
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# by aura-21 | 2001-01-28 23:29 | 雑感
2001年 01月 27日

駒井哲郎 若き日の手紙

昨日図書館から借りてきた「駒井哲郎 若き日の手紙」(美術出版社刊)を読む。1950年と1951年の日記と書簡。なんていい文章なんだろう。この本は持っていたい…買おうと思う。
駒井哲郎は銅版画家。私も大学の版画室に入りたての頃に最初に先輩から薦められた銅版画に関する本がこの駒井哲郎著「銅版画のマチエール」だった。しばらくして東京都美術館での駒井哲郎版画展で実際の作品をみて晩年の展示作品に行くにしたがって胸に込み上げてくる詰まった何か…痛々しさのような、簡単な感動ではなく…に襲われて眼玉が滲んだ経験がある。情動的にそんな経験をしたのは後にも先にもこの時だけだ。日記や書簡という生なかたちの文章にであって、また心が揺さぶられている。同時にこの自分の書き込む日記のすました鼻持ちのならないふがいなさにも別な動揺を感じている。
比べても申し訳ないけど…



発見に近い。時間ばかりかけて進まない絵は当初から頭の中とか気持ちの奥にプランがあってそれに沿って描き始めた、とは言いがたい。目的もなく歩いている道でもそのうち「ハッ」と感動するところへ出くわすんじゃないか…くらいの気分で毎日キャンバスの前に居たように思う。(少し反省…)
…でも…今日、片鱗だが何かに出くわすことができたような…嬉しい気分でいる。明日もそこから続きを描けるといいが…明日には消えてしまっていることの方は多い。
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# by aura-21 | 2001-01-27 23:26 | 版画
2001年 01月 26日

駅前図書館

JR青森駅前再開発で建設された複合ビル「アウガ」がオープン。予想通りの初日のにぎわい。青森人は物見高い。7階8階に青森市民図書館が移設されたのを機会に利用者登録をするために行く。新しいきれいな図書空間だ。昨年まで市内松原町に棟方志功記念館と並んであった時には駐車スペースも用意されてのんびりとした空間だった。新たに「アウガ」へ移ることに対する反対運動もあったと聞く。図書館は多くの人に利用されればそれにこしたことはない。今日1回立ち寄っただけでは判らないが、階下の商業施設からのお客が流れてくることは利用率拡大に繋がるかもしれないが図書館内での携帯の話声や商業施設内と同じような音量で話し込むおばさん集団は日頃から図書館を利用する時のマナーや慣習には疎いのかもしれない。一部の人だけの図書館ではないからこそ、その施設にそったマナーの体得は絶対に必要なことと思う。これは青森ではまだまだ一般的ではない今後出来る美術館や美術施設に関してもいえることだろう。公共施設での「マナー」は共に時間のかかること、時間が解決すること。
「アウガ」の図書館利用時の駐車場料金についてたまたまカウンターで対応した高校の同級生の話では「前もって図書館利用を目的の人は届けると3時間まで無料」だそうだ。大きな本を幾つも借りて車まで持っていくのはちょっと大変だし駐車時間を気にしながらの読書も落ち着かないかな。課題は皆無じゃないと思う。人がまばらなのんびり空間のほうが贅沢で良いもん。変に活気のある図書館や美術館というのも…なんだかな〜
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# by aura-21 | 2001-01-26 23:25