AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2001年 02月 03日

節分 リタッチ

節分。ピーナッツ食べてて止まらない。腹の中に鬼がいるらしい?


絵を描いているとどこで描き終えていいのか終りが見えなくなっていつまでも同じキャンバスから離れられずにリタッチ出来ない状態というのがいくらでもある。なにかの締切り日が強引に終りを決めてくれる場合の方が現実には1番多いのだ。トホホ〜
学生時代は先輩や絵をみてくれる人から「この絵は自己満足ですね。」とか言われて意味も解らず凹んだものだ。最近はあまりこういう指摘は聞かなくなった。むしろ自己満足という言葉の使い方が変ってきたのだと思う。制作者が最初に満足したものでないとオーディエンスに見せたり聞かせたり出来ない。自己満足度が足りないものを人前にだしても他は満足なんてしない。自己を満足させるというのは最初のチェック機構のようなもの。制作や創造する当事者の感度の度合いに係っている。確かに空転しているように見えるものもあるが、低いレベルの満足度数しかくぐってきていないのだろう。…この満足度数はパラダイム-シフトですぐにひっくり返るけど…


盛岡の銅版画家 戸村茂樹さんからアメリカで行なわれる「国際ミニアチュール版画展2001」の出品要項をFaxで送っていただく。応募〆きりは今月26日だ。
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# by aura-21 | 2001-02-03 01:33
2001年 02月 02日

パウダースノー 高校時代の教則本

夕べから降っていたパウダースノー。今朝の積雪はそれほどではないが、ところどころ吹き溜って盛り上がり雪の風形を作っている。自然の力。風の強く吹く場所で樹木が風の流れを形どったかのように風圧で歪に変形した状態を「風形」という。雪の風形が風と障害物とで流れるような稜線として幾つも出来ていた。


高校時代に読んだ油絵やデッサンの描き方の本を見つけた。今となってはこういう本が随分奇妙なものと映る。例えばこれって、「This is a pen.」…なのだ。文法だけを教わっても一向に身に付かない英語の勉強。実践よりも文法的なものを重要視するようなもの。絵の文法のようなものをなぞっているような感じの「絵の描き方」マニュアル。こんなことで絵が描けるのか〜? 掲載されてる作家や学生の絵もみんな似たようなものばかり。まず絵として魅力が感じない。高校時代はここから何か吸収していたのかな?
ある時期からは一旦身に付いてしまったことを削ぎ落とすという作業の必要性を感じる。またそうしないと絵を自分のものとして続けられないとも感じている。この高校時代に読んだ「絵の描き方」…は、まっ先に削除しなきゃならないことだろう。削除もリセットも簡単にはいかないが。
美術に於いては独学しかありえない。例え美大や美術の専門学校に通ったとしても、だからって絵は身に付かない。そばにお手本がいると参考にしやすいが、悪いお手本とも知らずに間に受けると大変なことになる。下手に美術関係の学校に行かなかったおかげで良い絵が描ける人というのもいる…と思う。(全部じゃないけどね〜)結局は何処にいてもその気になって自分の絵を築くとしたらそれは「独学」でしかないだろう。自分の目標は自分…自己実現なんていう言葉も(あまり好きじゃないが…)ある。

銅版画教室、今日から再開。1月中は開店休業だったぞ〜い。
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# by aura-21 | 2001-02-02 01:32
2001年 02月 01日

情報量

情報量が多いことが質的にも良いかというと[そうだ]とも[そうではない]とも言えるが、絵に関してなら私は1枚の画面の中の情報量を少なく制限した方が良くなるんじゃないか…と考えている。エレメントをいっぱい詰め込んだ絵はバランスをとること自体があまり上手くいかないようで、そのほとんどが言いたいことをぼやけた感じにしてしまう。


昨日までの絵における根拠のない順調な感覚は急に挫折感へと180度変ってしまった。上手くいかない苛立たしさでどんどん加筆するごとに見つけたことが幻のようにどんどん消えてしまう…どころか、マイナスなくらいだ。ちょっと浮かれていたか。


「ミニモニ」じゃんけんぴょん? なんだ〜?、それ〜??
聴いててもヒヤリングが出来ないよ〜…
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# by aura-21 | 2001-02-01 01:35
2001年 01月 31日

ars longa, vita brevis

「ars longa, vita brevis」…芸術は長く人生は短い…古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉だ。永遠のような長さに感じるじゃないか? 終わりの見えないような長さ。ついでに始まりも見えない…私には。


今月も今日で終る。21世紀が1ヵ月だけ過ぎた。その1ヵ月で新たに始まったことってなんだろう。個人レベルでは世界中で常に何かが始まっている(起っている)。まだ情報として普遍化していないものや個人の脳内にヒョイと浮かんでまた潜在意識まで沈んだものまで。絵でも言葉でも置き換えられないすべての始まった新しいことを極力歓迎。
私?…私は…まだまだ時間がかかる。
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# by aura-21 | 2001-01-31 23:33 | ART
2001年 01月 30日

影を落とす

「影を落とす…」 今描いている絵では観た人の心の何処かに影…或いは陰…を落とすようなものを描きたいと思っている。「かげ」というと一見ネガティブなことと受け取られるかもしれないし漠然としているけれど、投影するもの、観ても気づかないくらいに記憶の表面に出てこない深いところに刻み込むようなもの…を、と思っている。
なんだろう、理想的にはサブリミナルでデジャブーな??…ような。う〜ん、何を言ってんだ? それってなんだ?!


放電する言葉ってある。詩でも唄でも。文学でも評論でも…。その放電って、例えば「伝染する」ような力のあることを言いたいんだけれど。そんな言葉…さ。
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# by aura-21 | 2001-01-30 23:31 | 雑感
2001年 01月 29日

ガガガガー 乗ってる?

「ガガガガーッ、ズズッガリガリ…バキッ!」
雪道での車のすれ違いは本当にむずかしい。目測を誤って運転席側のサイドミラーが塀に擦れて取れてしまった。根元から折れてる。塀についた雪は意外に薄くて雪があるから大丈夫だろうと寄りすぎたのが間違い。ほとんど塀のコンクリートをサイドミラーで撫でたようなもんだ。ドアまでは擦れていないようだが痛い出費だ。幾らぐらいだろう。接着剤じゃむりかな〜



昨日から少し絵の方がノッテる。傍から見たらどう映るのか判らないけども、自分ではなんだか楽しく描き進めている…と思っている。
絵のスタイルが決まりだすと努力して次の新しいところへ突き進まなくなるんじゃないか…と危惧してた。小さくまとまってしまってはイケナイ。新しいキャンバスに向かっても描くたびに完全にリセットし0から始ることは不可能…とは解っている。作風を自分で思い込んで決めて自縄自縛にフィックスすることも愚だが、自分の絵にはいつも自分自身がつきまとうのも事実だし無理をして自分のものでもない借り物のような絵を描くこともない。
「可能性」と書くとそれで終わりだが、いつも不分明な自分と向き合っているということ。絵を描くのは自分と向き合うエネルギーが要る。
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# by aura-21 | 2001-01-29 23:30 | 版画
2001年 01月 28日

昨日の感覚

昨日の感覚が自分のものじゃなくなる…というのは毎回のことだ。今はまだ酔いしれていられるが、自分を陶酔させておくこともときにはいいかもしれない。キャンバスの前に進んで立っていられる…という意味で。よしよし…



デザインなんて実感したのは少年雑誌の巻頭カラーに載っていた空想未来科学の戦艦や水陸空自由自在の万能戦闘機の美しさからだったように思う。「流線形」なんて言葉はその時に知ったような気がする。パソコンやIT技術が軍需産業の必要性から生まれて進歩したことは誰もが知っていることだがデザインにもそんな時代があったということ?



「本」という手触り。
「活字離れ」というがこうしてインターネットの中では活字を読む機会の方が多い。必要に応じてマニュアルやサイト/ソフト掲載の情報誌、メールも読まなければならない。インターネットをしていると読まなければいけないものが増える。(活字というよりもフォントだが) 読みはするがモノとしてはない。欲しい本には活字情報やビジュアル情報と同時に紙という素材が手触りとしてある。人はまだ手触りと一緒に情報を取り込む段階から完全には離脱できてはいない。だから本は無くならない…と、言われる。情報の内容だけならば取り出す形式は(朗読してもらうとかコピーやプリントアウトするとか)たくさんあるだろうが、(もしかしたら読了しないまでも)「本」そのものとして所有することは、内容とは別に手触り感を慈しんだり弄んだり匂いを嗅いだりしてフェティッシュに喜べることも多くあるだろう。(21世紀末のテクノロジーや未来人の感覚の問題でもあるだろうが)マチエール・テクスチャー・表面の触覚をモニターなどにとって替られないうちは、「本」という紙の束はまだ急激に駆逐されたりしないだろう。
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# by aura-21 | 2001-01-28 23:29 | 雑感