2001年 01月 12日

吹雪き 新年会

朝から吹雪き。今日の予想最高気温は-7度、予想最低気温も-7度。1日中が冷凍庫の中。



考えていたけれど忘れた…ということがいっぱいある。寝床での半分覚醒状態が一番いろいろ考え付くみたいだ。ノーコントロールに考えている時は判断力も鈍っているからクダラナイことも「かなりすごいこと」と思いがち…大したことない。あ〜がっかり。
具象的な絵の前で「描きたいものを描ける力は羨ましいけど、描きたいものも解らず描ける力ばかりに振り回されるのは悲しいことですね…」とぼんやり興味なく見ている。このところ内田百間(本当は門構えの中は月なのですが、この字がでない…)の小説ばかり読んでいるせいもあるのだろうか…。



画家 野坂徹夫邸で新年会。
ビデオを見たりおいしいワインを頂いたりで朝4時ころまで。既に13日の早朝、外は雪が随分降り積もっていた。一緒の方角の友人に同乗。除雪のブルが走り回っている街路を帰宅。自分の家の前の車もすっかり雪に埋まっていた。
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# by aura-21 | 2001-01-12 01:23
2001年 01月 11日

街にて

青森市で日教組の大会があるようだ。車でスーパーへ買物。会場の青森市民文化会館周辺は機動隊の検問が物々しい。集まってきた「打倒日教組」のライト・ウイング?な方々の大型車(こちらも機動隊車のようだ)が大音量で機動隊員と反目。シュプレヒコールは強面な声だったが機動隊相手にスピーカーから聞こえる話し方は、実演販売の人のような流暢さ。車に乗ってそばを通っただけで内容はじっくりと聞こえてこなかったけど。



恐ろしい犯罪が毎日報道される。ワイドショーをたま〜に見るとその容疑者の身辺をレポーターが調べて報告している。被害者にとっては憎むべき犯罪者だが、身辺調査の聞き込みが全て「アイツならやりかねない」というものだけとも限らない。「良いやつだ」とか「そんなことをするようには見えなかった」という評判も多々ある。「そんなことしそうにない奴」が何故か「屈折した犯罪」をしちゃうのが問題点なんだ。ワイドショーは義憤に駆られた視聴者のために、容疑者の「隠しもった凶悪さは今まで犯罪をしないでいた事の方が不思議だった…」かのように人物像を先に決めつけてその裏付けネタを捜しまわっている?印象を与える。現実は勧善懲悪の時代劇みたいに善人と悪人が見た目で判るようにはできてない。フィクションとノンフィクションの違いをちゃんと判って見てないと、容疑者を有無を言わさず一刀両断に排除する独善的な力を望みかねない。…そっち方がヤバくない?
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# by aura-21 | 2001-01-11 01:19 | 雑感
2001年 01月 10日

自分

たとえ応援者が誰一人いなくても最後まで自分のことを信じられる力。誰も良いと言ってくれなくても信じて何処までも付合ってあげられるのは自分だけかもしれない。間違ったことをやみくもに信じてもバカなだけだろう。バカのまま自滅することも当事者の自由といえる。
「他人が信用してくれない言葉を、人はやがて自分でも信用しなくなる、僕はそちらの方が恐ろしい…」とある人は言った。まず最初に要求されるのは「自分を信じる力」だろう。
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# by aura-21 | 2001-01-10 01:18 | 雑感
2001年 01月 09日

教室 写真はがき

夜、銅版画教室の1日体験希望者から電話。「いらっしゃ〜い」。週末に訪ねて来るという。雪がまた酷くならなければいいが。
銅版画の体験は凹版の刷られる理屈を製版して刷るという流れから直接解ってもらえるだろう。銅板が薬品で腐食されて自分で描いた線がそのまま彫り込まれ刷りとられる…という体験は誰でも最初は興奮するし感動的かもしれない。この技法が解ることで銅版画を見る眼が少し変るかもしれない。ただ、あまり技法に振り回されるといけませんけど。
技法も自分で編出すのがいい。絶対こうしなきゃいけないっていうマニュアルが決められているのは「命」に係わることだけにして、絵は自由でいいんだから。技法は表現したいこととのギリギリの交歓?みたいなところから必要に生まれてきたようなものであることがいい。必要のない技法を知っちゃうと振り回されてぶれる。表現を見せられているんじゃなくて技法を見せられている気分になる…版画に限らずのことだ。


「子供の顔写真付き年賀状は止めて〜」…と先月書き込んだ。いっぱい来た。やはり自分の周囲で賀状に載せれる無難な被写体は子供なのだろうか。まぁ、その子供も(多分)17歳を過ぎるあたりから写されるのを嫌がり出すようで、急に熟年夫婦の旅先写真に変ったりするようだ。受け取る側は変ったものが見たいから言うんだけどさ。送る側はやっぱり選ぶ時になって危険を回避するのかね〜
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# by aura-21 | 2001-01-09 01:17 | 版画
2001年 01月 08日

素描

「素描」という懐かしい響き。エスキースとかドローイングとかスケッチとか、いまではこれらカタカナの方をよく聞く。素描の「素」という漢字がなにか根本的なことを気付かせてくれる役目を気負っているようでご苦労さんな気もするし素っ気無くて好ましい気もする。描きためた素描とこれから出来る銅版画とを一緒に並べる展覧会が出来ないか…と思っている。PCの時代…1度スキャンして読み取ってしまうと素描なども複製可能な版になる。もちろんこれを「版画」と呼ぶかどうかは人それぞれの感覚。マリエールの消える(見えにくい)のが抵抗あるかもしれない。まぁ、マチエールにこだわり過ぎると「油絵に比べたら版画は薄っぺらなもんだ」…という意見もあった。どんどん枝別れして先端がただ細分化され差異で分類されてゆくだけでは何が善で何が悪やら…。最近はPCプリンターで印刷された年賀状も当り前になり、逆にプリントごっこの方(孔版でシルクスクリーンと同じ原理だ)が味わいを持ってしまった。
この時代の中にいるという感覚と表象的な流行を追うだけではない感性という両方のバランス…


昨夜からもう少しHPのあちこちを手直しして遅くまでPCに向かい肩がカチンカチンにコッテしまった。青森は雪が深い。今年は異常に雪の降り積もるのが早かった気がする。寒さでキーボードを叩く指先は凍えている。コチンコチンのカチンカチン…
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# by aura-21 | 2001-01-08 01:15 | ART
2001年 01月 07日

周辺機器

周辺機器もだんだんと揃いだし、今まで宝の持ち腐れだったソフトも少しづつでも使い勝手に慣れてきた…かな?
「走りながら考えよう」で見切り発車したこのHPも改良がちょっぴりづつだが加えられている。実情は普請中…であるのだがね。
今日、ご覧のように…「いじってみた」…
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# by aura-21 | 2001-01-07 01:14 | パソコン
2001年 01月 06日

残す 文化

残る仕事をしましょう」…と書かれた年賀状が1枚舞い込んだ。残るかどうかは結果だから作り手には係われない範疇かもしれない。ただ「良い」と信じた仕事をしてゆくのみだろう。15年以上も前に新宿のゴールデン街にあった小さな芝居でも出来そうな空間で「雨月物語」の上映会があった。その時ゲストで歳とった評論家みたいな人が作品を残す方法として神社や寺に奉納すると何百年も残ります…と真顔で話していた事を思いだす。「残る仕事」と「残す方法」は違うから残す方策に四苦八苦してもはじまらない。まだ、目の前でどんどん消えてゆく表現(芝居やパフォーマンスのようなもの)の方が潔いのかもしれない。

芝居といえば「弘前劇場」の「定礎」が青森市で今日から。観に行きたいのだがなんだか雑然と1日が何一つ決まらずに過ぎてしまう焦燥感があって何処へも出かけ難い気分にしている。その弘劇の長谷川孝治氏は文化行政やそのための支援と青森県の除雪対策費とを比喩的に語る。文化事業にお金をかける事も春になると融けてしまう雪に数億円かけることも同等に大切な事、、、と…(文脈的には除雪費には毎年大金をかけているのに文化事業にはなかなかお金が出ない…という言い方だが) 流石なレトリックだと思いました。
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# by aura-21 | 2001-01-06 01:11 | 雑感