2001年 01月 05日

賀状 TSA

今年も年賀状を頂きました。ありがとうございます。でも、来年からはなるべくならE-mailで出そうかな〜。テクスチャーは無くなるけれども〜。
美術をしている友人が多いけれども、やっぱり今年も「だからって必ずしも年賀デザインまで美術してるとは限らない…」ことが言い切れそうな具合です。どうも「美術の人」はまづ「年賀状」に律儀に情熱を燃やしているというケース自体少ないようで、「作品は作品、年賀状は年賀状」っす。美術家という性格が偲ばれます。むしろ普段は絵もあまり描く機会のない方の賀状は、数年前はワープロ、現在はパソコンでのプリントが簡単できれいなことがら、みなさんすごい…が、宛名まで印刷というのは〜DM化してしまったようです。
1通だけ転居先不明で戻ってきた年賀状があった。その翌日にその相手から年賀状。見るとその住所は最初にこちらから出して戻ってきた住所。配達員の手違いか? 郵便局に持っていきそのことをいうと局員が電話でその地域(関東)まで問い合わせてくれた。局員の説明では「その家はその住所にある」「家族の姓も同じ」「しかしその名前の人宛ての郵便物/配達物だけは全て返送するように手続きされている」という…????。
局員の話では「事情は判りませんが、そういう形にしているところは多いですよ」…とも教えてもらった。
勝手な想像が湧く。



東京芸術専門学校(TSA)は昨年都合により閉校になった。いわゆる現代美術の現役作家達が教鞭をとっていた情熱あふれる学校だった。私はそこの第1回目の卒業生。閉校後先生がたもそれぞれ作家活動や批評活動、また別な学校で教えるなどの方向へ。守屋行彬さんは奥さんと作家活動に、飯塚八朗さんは息子さんとモニュメントの会社を始められた。偶然にも今日そのお二人からメールをいただいきました。
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# by aura-21 | 2001-01-05 00:41 | 雑感
2001年 01月 04日

「作品」

「作品」は何処から来るのか。その秘密さえ知っていたらどんどんと創り出せるだろうに…だが、秘密は何処までも秘密のままである。

「魂の作家たち・アート展/エーブル・アートへの挑戦」という展覧会を見る。青森県内の擁護学校や授産施設に通う人たちの絵画・書・焼物など200点余りを展示、賛助出品で兵庫県からの出品もあった。「エーブル・アート」というと体や精神に障害を持つ人たちの芸術作品といわれている(まだ新しい言葉でもありいろんな議論の対象ともなってはいるようだ)。「創造」という視座からいえば、彼らを過剰に特別視してその作品を誉めたたえることには手離しでは賛同できない。また、それは何の結論にも至らないだろう。創造はいつも出来あがったものから判断するしかない。障害者も健常者も関係なく平等に厳しいところが「創造」にはある…作ってみて佳く出来ているか全くダメかの分かれ目は同じだ。現実にこの展示会場には妬ましいほどに美しいものが(全てではないが)数多くあった。かなわないほどに熱烈な美しさに惹かれる時、彼らにどんなハンディや事情があるかは見えない。また見なくてもいいことと思えた。だからこそ「純粋」という語や「魂」という語が似合ってくる。もし同じ芸術や美術という処にいるのであれば、今後は健常者も障害者もなく同じ会場で分け隔てなく作品が並べて見られることこそが今世紀には当り前のことになっていて欲しい…と感じた。
過大も過小も偏見には違いないのだ。



浅虫方面で開催中の展覧会を2つ見たあとに、某介護施設に入所する伯母を訪ねる。初めて来たこの施設は明るく広い。先秋から入っている90才近い伯母である。会話は普通に交わすが時間的にすぐ前に起きた事が解らなくなるらしい。足腰が弱まり杖に頼っても自由に動きまわれるわけもなく、1日の大半をベットに寝て過すようだ。ここに集まっている人たちとその家族にとって「退院」という言葉はあるのだろうか? 
養老院ともホスピスとも違うのかどうなのか…。忙しい家族の代わりに介護士の方々が付っきりで懇切丁寧に対応してくれている。家族(身近な親族)に介護の必要な人がひとりでもいれば切実に感じることに違いない問題だ。
今日は簡単に断言できない「生きること」の側面について、深く立ち入れないままに書き込んでしまったかもしれない。
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# by aura-21 | 2001-01-04 00:33 | ART
2001年 01月 03日

夢 聖域

昨日のいや〜な初夢じゃ〜ないが、年賀状に「夢に向かって…」とか「夢を追い求めて…」とかいう「夢」という語が今でも添え書きされていて閉口する。絵に関係しているといい歳をしてまだ「夢」なんぞにウツツをヌカシテいるようにやっぱ見えるらしい。だいたい「夢」なんていう漠然としたレベルというか美化しすぎたレベルで考えてもしょうがないし〜。「絵空言」という言葉があるがそれを美化した時の形容が「夢」だったりするんじゃないか? 絵とか美術ってもっと現実の中から掴み出していく覚悟がないと本当に儚く消えてゆく。自分と眼前の作品との接点はやはり「感覚」が介在することで成り立っている面は否めないし、その感覚は芸術観は勿論、人生観や世界観や宇宙観など?から(作り手も観者も同じく)時間かけて作り上げられていくものなんだし。何処までも「現実」しかない。「夢」レベルに陥るようじゃ〜しょうがないでしょ〜。



「ART SANCTUARY」
サンクチュアリは聖域、攻撃不可能地域という意味もあるがよく聞くのは鳥獣保護区や禁猟区という意味。ARTとか美術はあまり過保護に温室内だけで培養しても抵抗力のない弱っちいものしか出来てこない…というか、その保育器の中だけで通用しているようにみえるだけ。最初から妙な保護とか神聖視のし過ぎで危険がある。でも、制作する場所が特定の作家の集中力のためには、作る上でも展示発表する上でもARTの場として「SANCTUARY」が必要だろう。個々人が所有するアトリエのようなものから公共の施設としての美術機関などまで。
今年末に完成予定の青森市の芸術創作工房がその一翼を担うかどうかはまだわからないが期待ぐらいはしたい。
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# by aura-21 | 2001-01-03 00:35 | 雑感
2001年 01月 02日

初夢 無印

嫌な初夢。重い病気の宣告をされてお城のような収容所に大勢の同病者と一緒に収監される。絶対死んじゃうような病気。眼が醒めてそれが夢だったと判ってどんなに安心したか(・・!)
…がしかし、私が今日も死に向かって生きていることに間違いは無いんじゃ〜


無印良品で「スケッチ帳」と「おえかき帳」と「らくがき帳」の3種類あるのを見た。紙質が違うことで値段も違うらしい。
絵を描く時に簡単なラフスケッチを描き出して途中からノッテきてしっかり描き込んだりした時に「もっと良い紙に描いておけば良かった…」と思うことがたま〜にある。その反面必要もなく良い紙に向かっての描き損じやメモ程度では「勿体ない…」と思う。描き出すまでその絵がスケッチかメモかいたずら描きからくがきかはわかってはいない。自慢じゃないが〜描き出してみないことには「何」を描いているかさえその時には解っていない。だからすこし良い紙をいつも近くに置いておくようにしている。…が、「良い紙」が「構えずに描ける紙」か「出来が栄える紙」かは時に違うのでいつまでも小さな悪戦苦闘は避けられない。
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# by aura-21 | 2001-01-02 00:31
2001年 01月 01日

賀正2001

明けましておめでとうございます。
世紀を跨いで21世紀に突入しました。テレビをつけると新春特番のにぎやかさでやたらと「特別扱い」な日々ですが、気持ち的には昔程の新しさもめでたさもなく、お正月だから〜が滑って感じられてしょうがないです。どうしたもんだろう。
「一年の計は元旦にあり」…でしょうが、毎日「軌道修正」しなければいけない計画性のなさでは、元旦早々に起てるプランも思い付きませんでした。例年のように「コツコツ」と出たとこ勝負にいこうかな〜
新春そうそう、たくさんのお年賀状を頂きました。ありがとうございます。


元日の行事は例年どうり「神社・仏閣」のハシゴ。近所の社を4軒廻り昼過ぎに「昭和大仏・青龍寺」を最後に境内の出店でそばを食う。今年はどうしたんだ?味が薄かったゾ。その足で駅前繁華街(?)の方へ〜元旦から開いている店が多い。数年前までは元日くらいはお休みのところが多かったはずだが。元日から景気付けに新春商戦開戦なのか。福袋が飛ぶように売れている〜とラジオは放送していた。ホントかどうかは判らないけど。



これより過去の日誌(2000年5月〜12月)分は「Aqua index」よりお入り下さい。
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# by aura-21 | 2001-01-01 00:30