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AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2009年 06月 16日

案内状投函 調書

晴。
運転手だったり、ちょっと雑用していることで今しなければいけないことを忘れている。
忘れっぽいのである。ますます、、に。
なんだかんだしてて自分の時間は夕食後からだな。

助走をつけないと何も出来ない。
なんだかそういう感じなんだ。
言い訳だとは判っている。中断されることは慣れないのか、もう慣れているのか。


案会状。今回は過去の芳名帳をみながら万年筆で手書きの宛名。
準備した記念切手を貼り昼過ぎに投函。

パソコンの住所録を管理しだして何度も個展ごとに芳名帳を追記したり住所変更して耕してきたデータ。しかし何かの拍子に更新を中断するともうリストの価値が薄くなってくる。
そして、、、困惑するのが、、、パソコンの住所リストに載っている名前の中にまったく記憶のない人名のあることだ。もちろん会場に居ても会話をしない方もいるので、芳名帳を書いて頂いても名前と顔の一致はそうそうはない。だからまったくの名前だけの記載もあるのだかから記憶に薄いのは当然なのだが。それでも「誰だっけ」としばらく見入る名前もあって、そうした方々の情報が希薄になっている私の脳の忘却率に愕然とするのです。





必要があって「制作を通して伝えたいこと」という作文を書いた。
すこし今の自分とはずれているかもしれない…と嘘つきな気分になりながら。
その作文を以下に転載する。

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現在、私はドライポイントによる「版画」を制作しています。
版画の特徴である複数性よりは、刷ることで生まれる線や面のマチエールに主眼を置いてモノタイプと呼ばれる方法で制作しています。

そこから生まれる形は金属(私はアルミを使います)の板に鉄筆で直接に刻する時の即興性や偶然性の所作にも大きく負うところがあります。またその版と同じ形に切った様々な質感の和紙をプレス機で刷る時に一緒に貼り込むことで紙質もマチエールとして援用する方法をとっています(エッチングの雁皮刷の要領)。

製版から刷り上がりまでの過程をできるだけ簡単に短くして制作するよう心掛けています。刷るという煩雑な作業よりも紙に鉛筆でのドローイングのように素早く捉えた一瞬を定着させることに興味があるからです。
これはドローイングであり絵画です。技法は版画ですが、ここで私は版画であり続けることに囚われたくはありません。

不定形な形に切ったアルミ版を使うと版画の余白部分(マージン)に「図と地」の関係でふたつの別な空間が生まれます。その「図の部分」が何処なのか。観者によっては額の内側全体であったり、インクで刷られた和紙の矩形部分であったり、あるいは会場全体と感じる方もいると思います。しかし制作する過程から言えば、矩形の版のカタチが私にとって最初の「図の部分」です。「最初の」というのは、私にとってもその「図の部分」は領域を留まらせず変化するからです。

「図」には何が描かれているのか。言葉にしがたい衝動によって平板化し陰翳を持たない素形的な世界を、、としか言えません。素となる形を求め捉えたい衝動です。その先に結果的に別の意味が生まれるとしても、です。

その余白を大きくとって展示することがあります。またある意味で私はこの何もない余白部分にこそ自分の仕事の可能性が隠されていると考えています。絵画にとって何も描かれていない部分も既に絵画空間の一部です。額装することで絵画空間はどうしてもその内側に閉ざされて見えますが、会場内で個々のフレーム内が呼応すること・展示会場全体に波及し響きあわせたいという意図もあり、その点にも留意して展示作業をしています。

余白部分の響かせ方という意味では、素形の中に登場させている赤い線を隣接し合う額同士で越えて繋がる「仮想の線」として展示しました。余白の関係で行なったことです。垂直と水平のふたつのパターンを展示しました。

隣接する絵同士が関連しそこに意味が生じる時に絵画空間は外部へ越境してゆくエネルギーのあることを想起させます。美術が生活者の身辺にまで忍び寄ることの重要性を考えています。

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やはり加筆や修正をしたくなるものの、、きっと、幾分かは今の考えて伝えたいと思っていることなんだろう。

by aura-21 | 2009-06-16 22:54


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