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AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2002年 06月 25日

絵画の実験

すいすいと自転車のペダルも軽く朝の風の中を会場へ。今日もまたカメラを片手に息を潜めて鑑賞者を待つ。昼頃に友人(写真家)が出来上がった私の画像を持って訪ねて来てくれた。笑える…。しかし、画質的にやはりむずかしいようだ。撮影時の最初に決めた画質のクオリティーが肝心なのだろう。デジカメはまだまだ使い慣れなくて解らない事があります…苦笑?



絵画鑑賞者鑑賞」…このタイトルの含む問題点は既に並べられたものを「絵画」と規定しているところにある。絵画とは何か?…で始まる美術行為、あるいは創造行為の入り方というのがある。いつもその点についてはア・プリオリな…というか問題の棚上げ(眼をつぶる)からスタートしているところがある。私も今回のなにか絵画的なるもの、あるいは鑑賞対象として事前に絵画を先回りして決めてかかっているところが問題だろう。しかし、絵画とは何か?…などという問題すら死語か命題とならなくなった側面もある。時代は描かれたものに眼を奪われてしまった。私が迂闊に避けているだけなのか…絵画云々に至るような問題提起的仕事ではない…と言いたいのだが。

もう一点は件の絵画を提示しているベクトルと「鑑賞者鑑賞」という関わり認識作業のベクトルとを同じ空間に並列させたことで、もしかしたら上手く見せていないのではないか…という事。どっちつかず…あるいは2段重ねで打ち消してしまう印象だろうか。手技的なマチエールを見せるなら絵画論で、コミュニケーション啓蒙的コンセプトをみせるならば対話/交流的な作業でなければならないのかもしれない。
この不安定で不確かなバランスの喪失に意味を見出せるか。
結論を出すことよりも仮定を練り直すことになった。
実験はくり返さなければならないし、永遠に実験精神を忘れたくはない。

by aura-21 | 2002-06-25 22:29 | 雑感


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