AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2007年 07月 15日

展覧会三ケ所

午後から出かける。
紳士服店 Hへ先日買ったジャケットを取りに行く。これを着て出かけるのはいつなのだろう。

青森市民美術展示館へ。
鈴木義勝 水彩画展(4階)と 第17回 あおもり 国展(2・3階)を見る。
 
鈴木さんの会場でお茶を頂きながらお話。作品の価格をどう考え決めているのかを尋ねた。
鈴木さんも様々工夫しているそうだ(それはみんなやってるし当然なんだけれども)…いろいろ思う話でしたね。
作家として作品販売を生活の糧とし仕事としているならば直面する問題。副業(あるいは本業)が別にある場合には考える必要もないことかもしれないが、いろんな意味でそうしたことを考えている人はここには少なかったりする。聞いてみると「なるほど」という意見…公募展への参加や美術年鑑への掲載…もその一環だろう。同じく行動するかどうかはまた別だが…各人様々に考え方も同じだったり違ったりすることだろう。

公募展への出品は確かに全国区での自分の制作の位置を知る(知らせる)足がかりにはなるだろう。同時にそれは個展で作品を売っている作家にとっては、「作風」において問題があることを指摘する。一般的に個展で来場者に好まれる作風と、公募展会場などで周囲の大作の中で目立たせるような力をこめた作品とでは同じ作家であっても描き方に若干違いがある方が多い。公募展の絵は挑戦的な作風で、個展となると売ることを計算にして急に迎合し過ぎるような小手先の絵を並べている作家も見かけるのは事実である。
作家としての認知される上では公募で入賞を狙ったりすることはあるべきかもしれないが、作家と作品という関係からそのスタイルに疑問の感情が湧くようなことをしては何かサモシイとも考えるが…。生きることは清濁を飲み込むことを強いるものだろうか?
「なかなかむずかしいものですね」と混んできた個展会場を後にする。

1階下がると 第17回 あおもり 国展。
国展参加の中には知った方々も多くてご挨拶してばかり。
先程の話題(公募展での作風)ではないが、確かに隣り合う作品どうしの「声量大会」である面は否めない。
県内からの出展者による展覧会なので砕けた調子に小品を出品している方もいる。
東京の公募展会場では並べられる作品は1人1点くらいであり、その作品で作家のすべてを籠めて出す分だけ作家の作品と作品の行間のようなものに眼が向かない。地方でも場でそうしたことを幾らかにおわせるのか。できればやはり個展で見たいもの…毎回 そう感じて帰るのだが。


国際芸術センター青森へ。春AIR「遊びの経路」最終日。アーティスト・トークには間にあわなかったが前回の作品がその後どうなったのかを見る。パラモデルの展示棟での作品は樹のような枝が(レールのように)広がっている。キューブにとった枠の中を四方に広がる。(想像のついていた広がり方ではあったが)オリジナルである数パターンの発砲スチロールのパーツによってまだまだ無限に広がる樹影を暗示させられる。フランス人のビデオ作品も新作が増えていた。4作家ともに会期中「遊び」を継続する姿を見せる作品だったようだ。
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by aura-21 | 2007-07-15 20:22 | ART


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