AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2007年 07月 29日

選挙 八甲田山展 祝賀会

投票へ。
いつからだろうか。選挙権を持っても学生時代に投票に行ったという記憶が薄い。
東京に住んでいた時も忙しさから面倒で投票には行かなかった。
契約社員も辞めバイトも途切れて時間を持て余し、毎日自転車で図書館に通ってたあたりだろうか、投票所へ行ったという記憶は。
こう書くと不遜に聞こえるが、社会の中で仕事を持っていたり眼前に目標が見えていて忙しく動いている時には政治に何の期待も持てず、まして選挙で何かが変わったり動かせたりするとは思わなかったのかもしれない。時はバブル絶頂期。急に時間ばかりを持て余した時に見えなくなった社会と関係を持ちたいと希求しだした時に、投票所へ消極的にでも行ったような…そんな記憶がある。
今もどこか心の隅に「未だにその中で生きていれてない社会」という機構にすり寄りたくて投票所へ向わせているのかもしれない。
政治や社会というのが私にとって「想像力の及ばないこと」であることは今も変わらないが、「想像力の及ばないこと」への投票という入口がぽっかりと開いていることを楽しんでいる感じはしている。
楽しむといえば他人事のようか…。今回の選挙では大きく何かが動きそうだ。動きそうだが、本当にどういうアクションがおきるのかはまだ静観しているより他にない。解釈はひとそれぞれだが選挙の結果に関らずいまだその座の委譲を拒んでいる人もあるそうだ。選挙は「変化」や「結果」に急激に繋がるのだろうか。選挙民側に現状維持への漠然とした願いがあるだけかもしれない。一番願う現状維持へ票は流れているのだろうか。 想像力が働かない…



県立郷土館で開催の「八甲田山展」へ。
山の絵が並ぶ。山の絵ばかりを描いている人の油の乗った「山の絵」というよりは、遊んで描いているような山の写生。あるいは「山の絵なら売れるかな」というような少し姑息な絵もある。なんとなくそれらしく描けそうな風景画がこうもいろんな(県人限定)作家で描かれているのも奇妙な印象を与える展覧会。実はこれらは八甲田山をご神体と仰ぐ八甲田神社による蒐集品。テーマを八甲田山と鷹に限定しているのだ。

私の親戚筋に安田健太郎という亡くなった仏師がいる。小学校の時から可愛がってもらった。他の親戚は彼を変人・頑固者扱いだったが、私や父にはそうした面を感じさせない自由な生き方の人だった。八甲田神社ではそのご神体や拝殿奥にある狛犬の像を彫った仕事を残している。同じく数年前に県内の神社による宝物展をここ郷土館で開催したことがあった。絵馬・板絵、面、屏風、刀剣、書…など隠れた名品が多かった。その中で諏訪神社からの出展品に安田健太郎の絵もあった。白いイルカが河を遡行している絵だろうか、神社にまつわる物語…多分 青森市にまつわる物語…に依拠していると思われる。今回の展覧会の案内状をいただいた時に、その安田健太郎の名もあり出展を楽しみにしていた。さすがにご神体や拝殿の狛犬は出展されてはいなかったが、小さな山の絵が1点あった。他の山の絵がふもとから見上げたような構図が多いのに対して、この絵だけはその山並を頂上付近から見下ろしている。視点が高い。実際に山へ登って現場で写生したような簡単なタッチでもある。畏敬は畏敬であってもいいが、拝するようにただきれいに見上げている山の絵ではないものがそこに掛かっていた。登山したのだろう。山が好きな人であった。実際に絵としてみると随分素人臭いのだが、作者の考え方が強くそこにある。彼を知っているからだろうし、親戚を持ち上げていると受け取られるかもしれないな。実は拙作小品1点(2002年)も今展の壁の隙間にかかっている。



14時から同じく「八甲田山展 祝賀会」で青森グランドホテル2階「芙蓉の間」へ。
今展の関係者、神社関係者来賓、崇敬者による。事前に参加希望通知は送っていたが、私は軽く立食の雑談的なパーティと捉えていた。テーブル席に名札が並び、来賓祝辞や乾杯やスピーチもある式次第で2時間半…油断していた。しかも10分ほど遅れて付いて受け付けで宮司の弟に「遅い」と笑顔で怒られた(彼は同じ歳。小学校・高校と同窓生)…失礼しました。
既に開会の辞や八甲田山展実行員会代表者の挨拶も終わって司会者による次の方の紹介中。
ステージ前に並ぶ3つのテーブル(松・竹・梅にそれぞれ8人)が作家の席のようだ。他に7つのテーブルが並ぶ。関係者、崇敬会の方々。静まった会場を前の席に付く。冷汗…。
作家よりも関係者の多い展覧会パーティ…いや、祝賀会の主役は今展主賓の八甲田神社にある。作品の多くは奉納ではあるが神社側によるコレクション購入でもある。パトロンと作家の関係に近いだろうか。近年ではそうした構図もほとんどなくなって珍しいものである。パトロンも1点だけのおつき合いの作家もいれば、その生活までに及ぶ応援をいとわない作家との関係もあるだろう。
来賓祝辞、出席作家紹介、祝詩吟披露というのもありやっとやっと乾杯。私は車だったので口をつける真似だけ。あとはずっとウーロン茶。
ご歓談タイムとなる。
その後、9人ほどスピーチが続き、最後に八甲田神社 小笠原定彦宮司よりご挨拶。宮司さんは拙宅での集まりでも来てくれるが、その時の気さくな感じとは異なり、こうした正式な席上での威厳が確かに漂う。さすが…と感心。

今展は「郷土を愛する県内出身作家による」という副題が付いている。さて、郷土を愛しているかどうかは自信がないし、郷土愛をあまり表立って滲み出させる気もない。この青森の自然という環境の懐に住んでいることは事実でも大きすぎて包み込まれている意識などないに等しい。神社が執り行う展覧会であるためにあまりアートとか芸術論ではない視点で行われている分、絵を見に集まった人には見やすい(私には少しつまらない)作品が並んでいるとも言える。意識できないものを気付かせることが芸術と同じように宗教にもある。私はこの展覧会でひた隠しに隠したい「郷土愛」なるものを見せつけられたのかもしれない。まさに宗教家による展覧会ならではだろう。しかしまだ、そのようなものに正面から向き合いたくはないし、ずっと背景にあればいい感情だろう。郷土愛を絵にしているのではない…と、思っている。
宗教との距離を取るのは、裏返すと本当に信じるものと付合いたいからなのかもしれない。信じるものが人やモノや精神やお金であっても「信じる行為」自体はそこにある。宗教の教えも厳かな拝殿や仏や神の形をした彫刻にだけ向うのではなく、その向う側へ意識をもってゆくための機能をそれらに付託しているに他ならない。美術作品が美術という見えないものへの誘導手段であるように。


今日、始めて袖を通すピンクのジャケット。
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by aura-21 | 2007-07-29 20:54


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