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AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2007年 04月 23日

胡蝶の夢

曇り のち 晴れ。

青森県立美術館へ。「工藤甲人展」を見る。
4/11に続き2度目。招待状を使わせてもらう。

ポスターにも使われている動物のデフォルメ。あの黒猫の右前足のアクセント…デッサンの間違いとみるかデフォルメと見るか…私は後者として見ることに。猫の黒い固まりの強さ。1本の羽根が化身したかのような鳥類。動物の大きさが人と同格に絵の中に現れている。豚に乗った少年、豚ほどもある鳥。前回に駆け足で見た時にもボッシュとの関連を強く感じた。今回ちゃんと会場を見て歩くと展示ケースの中にカラー刷りの古新聞に載っている「ボッシュ」の絵。作家は資料として手元に置いていたようだ。同じくエルンストやタンギーかと見まごうシュールレアリスムの影響も散見できた。作家の若い時代の研究熱心さや挑戦する姿勢が伺える。
幻存の画家…という表現に立ち止まる。幻想と現存、「夢と覚醒のはざまに」のサブタイトルとの関係か。しかし「幻想が勝ってもだめだ」と話す作家の話しに頷く。幻想ばかりに落ち込んで現実逃避に埋没した作品には気味悪さを感じてしまう。幻想を覚醒した頭脳と直覚でコントロールする作家の姿勢があるからこその「幻想」そして「幻存」か。

何点かの作品に登場する蝶。多くは美しく舞う姿よりもまるで越冬したかのようなぼろぼろの翅が風に煽られながら細い足でヒシッと植物にしがみつく様子で描かれている。荘子の思想を現わす「胡蝶の夢」が脳裏をかすめる。幻想もまたその行き来である。

同じく県美B1フロアーの常設展を見る。
「都市の空気、故郷の土」と題された常設展は4月10日から6月24日までの三ヶ月間開催。

4/9,10,11に展示替を手伝った斎藤義重を始め 阿部合成、小野忠弘、工藤甲人、小島一郎、佐野ぬい、寺山修司(B2)、奈良美智(B2)、成田 亨、棟方志功が各スペースに。また小企画として一角に「概念芸術:美術への挑戦」という括りでリチャード・ロング「8日間の白神山地歩行」シリーズ、高松次郎「この七つの文字」「These Three Words」、エイドリアン・パイパー「肉になる肉」、ヴィト・アコンチ「接近」。

常設も展示替のたびにその見せ方がすこしづつ変わってきたかのようだ。見ているこちら側がこの空間に慣れたせいか? どの部屋も作品数を幾らか絞ってゆったりと見せている。作品と空間のバランスに眼が行く展示であることが作品にも視線を送れる…という感想を持つ。手伝ったからなおさら思うのだが、斎藤義重の部屋の立体は今回はかなり空間との関係をゆったりと取ることで作品の緊張感を高めている展示になっていると思う。またデッサン(すべてが新聞広告のチラシの裏)も作家の思考の痕跡や作品に至る内側を垣間見せている。
佐野ぬい作品は気持ちいい平面作品の部屋となっている。私は「回想のハーフタイム」に惹きこまれたが1951年制作の「自画像」から50年代、60年代、70、80、90年代、00年代とひと部屋で半世紀の画風の変わりゆく様が感じられる展示。
寺山修司の展示室の構造はそのままに今回は森崎偏陸氏により特別編集された寺山の実験映像作品のコラージュ・オムニバス。三面映写で映像のインスタレーション。映像インスタレーションということは寺山の手を離れて後継者/崇拝者による解釈がどうしても入ってしまう。作家が世を去った瞬間から作品は多少の変貌を余儀無くさせられるのか。お手伝いした斎藤作品についてもそれは言えることと感じている。そこにも見えない胡蝶が舞う。亡き作家の言葉にならない言葉を携えて。


ラーメン大地で豚そばを食べる。豚の背油が一面にのっている。

by aura-21 | 2007-04-23 00:11


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