2007年 03月 03日
関係ないなぁ…お人形やお雛様を飾る風習は身近に子どもがいての話。だんだんそういう風習(文化)を支える世代の少数化か。 絵を見る風習(…とはあまり言わないが)も無くなるとだんだんいい絵にであわなくなるか。 夕食に久しぶりに「鞍馬」で蕎麦。 抽象美術とか抽象絵画という言葉についての文章(断片)を二種類(偶然に)読んだ。 そのどちらも抽象美術とか抽象絵画という言葉があまりに無自覚に使われている現在を指摘し警鐘。抽象と自然…抽象と具象という分類ではなく…との関係で、いつも自然が大きく背後にあって産まれているということ。また抽象とはいいつつその絵の中に明らかに自然界(人工物も含めて)の中にある形がデフォルメされ描き込まれているということは絵を見ると判る。純粋抽象(マレィーヴィッチなどのシュプレマティズム)を除くと抽象絵画ではあるが、クレーやカンディンスキーに代表される系統の絵の中には何かと判断できる自然の再現性が多く見て取れる。 自然の非再現性を単純に「抽象」と呼ぶのは間違いであるし、おおかたの抽象絵画はその根っこに自然が組込まれているということ。そして作家の独自性を供えた新しい「抽象絵画」というのはなかなか産まれていないという指摘。 …というような文章を読んだわけである。 まぁ、抽象絵画の役割が美術の流れを大きく変えた事は重要だが、既にそれが時代の先端でもない現代では美術の基礎的な位置でありひとつの傍流であるということだろう。
by aura-21
| 2007-03-03 12:55
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