2007年 03月 06日
15時すぎに弘前へ。小雨から雪に…予報通り。 田中屋画廊「長久保怜美 展」を見る。 今春 弘前大学を卒業する方のこの個展は先週の「茅原登喜子 展」に続く同級生。 青森県美での卒制展、それ以外にもこうして個展として見せる機会を持つ作家の方には少し特別な視線(エールのようなもの)を送ってしまう。作家としての船出を祝うような気持ちだろうか。 (別に「個展」を「した/しない」でそれが良い悪いでは勿論ないのだが)個展という踏み切る努力とそのために準備した仕事と労力は単に卒業記念としてだけとは見ていない。(確かにプライベートな記念のような展覧会や個展を目にすることもあるが、これらとは明らかに一線を画していると思う) 長久保さんの大きな画面は気持ちがいい。県美で見た時はアクリルの地塗り用ジェッソで下絵っぽく仕上げた作品と思っていたのだが、伺うとパネルに和紙の下貼りで日本画の絵具や部分的に油絵の顔料などを混ぜて描いているという。日本画/洋画の違いが使われる絵具だけの違いとも言えない昨今。まず描かれた絵に何が作家の独自性としてあるか…だけだろう。静物画的なモチーフを強くひかれた鉛筆(時には木炭だそうだ)での輪郭線だけでとらえ、絵具はあえて平面的に塗られているようだ。美大受験のための静物デッサンのようにも見えるが、同じ画面の中のモチーフ(箱、ブロック、ボール、筆洗器、椅子、太い針金?、ローラー、折鶴…)のサイズは別個にデッサンしたものが同一空間に集め組み合わせなおかつそれぞれがスケールとパースペクティブ(透視図的)にズレを持たせている。ブロックよりも大きな折鶴だったり…。写実が大きさのバランスだとすると、整合性をあえて持たせない彼女の手法はもともと「絵」だから簡単にできることのように思われるが、人はその個々のモチーフのサイズのバランスで三次元を捉えようとする時に、この作家はそうした束縛をはずすことで独自性を見つけようとしているのだろうか。色彩の少なさ(ほとんどモノクロに近い)近寄ると見えるマチエール…それも色面構成的で平板なマチエールのタッチは絵の中心に向かう作業というよりも外側に向かっているように見える。線の強調と描きかけのような着色が持つ「可能性」をそのままフィックスしたような味の作品と感じた。 下の喫茶室で珈琲とりんごワッフル。外の雪はいよいよ本格的になった。路面が乾いてスタッドレスタイヤが悲しかったが、替えなくてよかった。 帰途、青森市内に入ってから「けやき」で特製オムライスを夕食に。 寝る前にビール1本。でも寝たのは2時を過ぎている。
by aura-21
| 2007-03-06 12:59
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