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AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2006年 11月 17日

画材の提供を感謝 カフェ2回 世代

昼にCOCUNCAFEでマフィンを購入。ここのマフィンが今のお気に入り。



13時半、Wさん(元画材店主人)を訪ねる。閉店してからも幾らか残った画材などがあるので「よかったら使わない?」とお声をかけて頂いた。ありがとうございます。制作への応援と思ってありがたく頂戴します。
Wさんは先日開講した「ほ・だあちゃ」(知的障害を持つ方々でも自由に制作や表現の出来る場所)のSさんにも「何か使えるものがあったらどうぞお持ち下さい」と誘ってくれた。Sさんといろいろ分けあって頂いてくる。



初個展間近のHさんとCOCUNCAFEで会う。今日は2回このカフェを行ったことになる。個展のプランスケッチやイメージなどを伺いながらお茶。いろいろ慣れないと難しいしやってみないと見えない事・やらないと次に進めない事も数々あるだろう。自分も先輩面して体験話を垂れる(その自分がなんだか厭ですが…)吐き出す言葉は自身で何度も反芻してるようなもの…いつもの自分、いつもの事か。だんだん年とってきました。まだそんな役回りは御免こうむりたいのですが、つい。すみません。



美術は若者だけに限られた表現ではない。
若者の表現もあれば壮年や中年の表現だってある。
経験を積んだものの美しさもあれば初々しいから新鮮で見た事がなくてイキイキしている美もある。
年齢に関係なくその世代世代で表れるものがあるし、そうした世代ごとの発表の場所や機会も当然訪れなければならない。
しかし最近はその経験を積んだ人がもう一歩先のプロ的な領域へいざなうような発表の場所も人的支援も少ない。いつも若い世代の動向にだけ視線が遷ろう。作家の賞味期限が短いようにも感じる。流行でのみ見る側も遷ろう。若い人も経験を積んでいずれは表現自体もさらに成長し成熟し熟練度を増す。時にそれは悪く熟成度を増す事もあるが。しかし巧く熟成した先の発表場所やそういう作家と対等に渡り合える人材の仕組みがないのではないだろうか…という思いがよぎる。美術館やレジデンス施設も県内には出来たが、そういう場所ではなく常設的にそういった世代(作家歴の長い表現者)と付合い協同できる人や場所、先を歩いている見習うべき(或いは見習わないほうがいい?)作家や仕事を援護する仕組がない。ひどく渇望を感じる。

by aura-21 | 2006-11-17 01:28


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