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AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2005年 04月 11日

三戸から 青森市内の美術

11時、三戸町の版画研究所に勤める栗田さんが青森駅着。一緒に国際芸術センター青森へ。今月15日までセンターに滞在し制作中のPatricia Wilson-Adams さんの版画制作を見学させてもらう。お昼過ぎに事務所を訪ね面会を介していただく。市内在住のTさんも自分の版画制作でPatricia さんと一緒に創作棟で仕事をしていた。
Patricia さんはその作業の手を休めて自身の作品のスライドや制作途中の作品を見せて説明してくれる。外国の作家はこうした「理解してもらう」機会を非常に大切にし尋ね来た者に時間とエネルギーを割いてくれました。
ありがとうございます。
銅板にエングレービングと電動ドリルを使ったドライポイントによる版画です。非常に素直な温かさのある手仕事です。小さな本や版をキルティング的に縫ってつなげる版画は額装されるのではなく壁面にインスタレーションされるもののようです。

Patricia Wilson-Adams Exhibition
刻まれた記憶—詩と風景の版画(ENGRAVED MEMORIES)
4 月24日(日)〜4 月30日(土) 感覚ミュージアムギャラリー

今回の滞在はそのための作品制作です。展覧会のご成功を!



そのあとに市内数カ所の個展会場をまわる。
神田正信 展(NOVITA)。弘前在住の作家。私はDMや印刷もの以外で初めて作品を見ました。油絵ですがそのマチエールがざっくりとアブソルバンな肌合いというのだろうか、ざらざらした肌理のあるテクスチャーは実物を見ないと判らないだろう。

栗田さんと(私は再度だが)一緒にMAJIO個展へ。しかし会場の作品は昨日で撤収され30日までの会期は作家の都合で中止されたとのこと。
理由は彼の個人サイトでのちのち発表されると聞く。しかし、周囲の世話人、応援者の方々が中止理由に「?」なのだそうだ。どうしたのだろうか?
展覧会での展示遂行は作家と社会との約束のひとつみたいなもの。何かもっと別な理由があるのか? と勘ぐりたくなる。それくらい唐突な中止だった。

柳谷暁彦展「文字について」(西衡器 ゼフィルス 第1回企画展)。
かなりビビッドな色見と文字をモチーフにした油彩作品17点が並ぶ。今回は80号サイズが最大でそれ以下の小サイズの作品が多い。
会場に置かれた茂田有徳氏(美術ライター)のテキストを読む。

「… 文字をモチーフにした柳谷の作品には、確かに多くの他者の意識がひそんでいる。それらが色面に反映された柔らかな価値観と止揚されることで、歴史的な垂直性(時間)と同時代的な水平性(場所)の双方からとめどなく他者の声、すなわち「欲望」が流れ込んでくる。…(略)… 画面に描き込まれた言語 = 他者が我々を見つめるまなざしは、魔術的な作用をもって必ずや主体に何か働きかけてくるだろう。まずは、まなざしに「気づく」ことからはじめよう。…」

描かれるその絵筆の運びからいくと「油彩」という質の重さが気になるその塗りこめ方。筆触や絵具の厚さに強弱/硬軟の使い分けがあまり窺えず、私には些か剛直すぎて見え、力みがあるように感じた。

郷土館へ。佐野ぬい展(再度の入館、でももう1回位来たいかも)
閉館前の1時間を作品の前に立つ。やはり残念なことは会場の狭さかもしれない。作家自身が持ち込んだ作品を館側はひとつ残さず県民に見せたいという思いで詰め込んでしまったと聞く。入場者からの意見では柱が邪魔だったり会場が狭いという指摘は多かったそうだ。しかし作品を全部飾ってくれた館に対して佐野さんは何も言わず了解し感謝したそうだ。心情的には解る。

栗田さんを駅まで送る。


今年度の三戸町立現代版画研究所での講座カリキュラムで「銅版画」を依頼された。まだ内容や期日も未決定だが、そうしたオファーがあったので前向きに受けて立ちたいもの。どうぞよろしく。栗田さんの来青はその打合せもあった。

by aura-21 | 2005-04-11 01:20 | ART


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