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AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2004年 10月 03日

実験室にてコレクション展

曇った日曜日。NHK「新 日曜美術館」を見ながら朝食。

10時過ぎ、空間実験室へ。
昨日のフォーラムで展示物が移動されていたのでその復旧をしてすぐ帰宅。

数人のコレクターが持ち寄ったコレクション作品(写真、水彩、ドローイング、版画などの平面)を一ケ所にまとめて掛けている。実はこの壁面のすべての細部もささやかでも神経を払って配置してあるもの。プラグコードの固定も電気スタンドのためだけではないつもり。この壁に残された穴や電気・電話の配線、釘の跡までも括って作品に取り込む意図は働かせたのだが…。もちろん並べてある個々の作品も奈良美智・会田 誠・今 道子・菅 木志雄・舟越直木・蔵 真墨など現代美術のなかでそれぞれに成果を出している作家たちのオリジナル作品である。ただ順番に空いた壁に並べればよかったのかもしれない。が、それでは見せてるだけで「空間」にまで挑んでいないことになる。すこし味付けをさせてもらった。贅沢なアッサンブラージュである。これをコレクターによるインスタレーションと呼ぶべきものであるかは判らないし、言うべきことでもないと思う。
じつは並べ方では出品者の中でも意見の別れるところであった。並べ方で意味が生まれる。展示に直接手を下した当日のコレクターの「やったもん勝ち」なところは実際にある。
9点のコレクション作品を贅沢に使い数カ所のそれに附随した部分と一緒に見せる。…やったもんが「勝った」かどうかは見た人の眼で判断して欲しい。

夕方にその搬出のお手伝いへ。たった3日間の展示というのも贅沢だ。
今日の観覧者の中には「私も某現代作家の作品を所有しています。今度このような機会があれば参加したいです」という方がいられた。美術館や街の眼に見える場所にばかり巨費を投じた「作品」が置かれているだけではなく、こうした個人コレクターの選球眼で個人宅に収蔵された小作品はたくさんあり、それはそのままこの街が抱える気付かない遺産なのである。もしもまたこのような匿名コレクターによるコレクション作品展が開かれた曉には、またひと肌脱ぎたいと思う。
空間試行だけではなくテーマの見えるコレクション展になるといいな。


明日から空間実験室3階のスペースCでは 成田健太郎展「シアワセ」が開催される。既に展示を終えていたので1日早く作品を見る。なんて気持ちのいい作品と作品の空間だろうか。まだ18才という。これは見ておいてソンはない。損得の問題ではないがなにか新しいものを気付かせてくれる要素がそこにはあった。会期中には作家本人も会場にきて公開制作もあるそうだ。



かみさん仕事は休み。だが芝居の練習が13時から。リノベーションではないが市内の空きビル(印刷所の跡でまだ真新しい5階だて)が臨時の稽古場として利用されている。水道も給水停止され電気もかろうじて通してあるという。
市内にシャッターの降りた店舗が悲しくなるほど多く存在する。ARTのリノベーションがこのところ話題に登っているが現実にはそんな場所が増えるのは街が疲弊し病んでいることだとも忘れてはいけない。活性化がARTの目的ではないが、ARTにまですがっている極限状態なのかもしれないことは事実。バブルな時代にもARTが街にたくさん流れ出した。街が錆びつきだしてもARTはその隙間に侵入する。もともとARTというものは人間の営みのひとつであるのだから当然のことか。



版画室で制作とかDMの校正。



昨日の「Webに感想書いても虚しい」…に複数の応援メッセージをいただきました。いや、正確には応援してくれていたのかどうか解りません。「私は時々サイトを覗いています」というだけのメッセージなのかもしれない。誤読し調子にのって「また続けよう」という勘違いか。立ち直りも速い。
Kさま初めみなさま、ありがとうございます。



DVD「花と蛇」、や〜杉本 彩の肢体にほほ〜っ。
芸能では「姫神」と女優の金久美子の死に驚く。夭折。
大学時代に黒テントの芝居の前売りを手伝って、芝居の後の打ち上げで金久美子さんからお酌してもらったことがある。まだ右も左も解らない今以上に生意気若造時代、大した労力も使っていないのになぜそんな場に居合わせてしまったのか。気恥ずかしさとおこがましさがないまぜな記憶。合掌。

by aura-21 | 2004-10-03 22:52 | 展覧会


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