AURA版画工房 日誌部 「むげたほげ」

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2007年 07月 27日 ( 1 )


2007年 07月 27日

造形教育  言えなかったこととか

今日も快晴。
8時30分、会場の莨町小学校へ到着。東北の小学校関係者がたくさん参集。

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(O 先生からのお茶目なリクエストで黒く目隠しを付けました)


「第52回 東北造形教育研究大会青森大会」の「第6学年 図画工作科学習指導案」というのが正式名称なのか。
まぁ「ひろがれ 版画ワールド」として鑑賞がテーマである。今月17日にワークショップで作った版画とその前に持ち込んだ拙作を一堂に並べての授業。指導教諭のOさんは身近で実作している人の作品を作者を前にして鑑賞する方が作者からの反応や自分の解釈や感じたことに即レスポンスがありそこに「対話」が生まれることで鑑賞がより深まると読んでいる。また作家の技法(特に版画はその技法を知ることも作品鑑賞には重要な要素であることを踏まえて)で自分たちも作ってみることで作品に対する理解が深まる事を狙っている。同時に鑑賞から表現への興味の拡がりの種子を子供達の心に蒔くことを意図している。
まぁ、手前味噌でも彼と私とで打ち合わせた時に感じあった確認点には、鑑賞にとどまらないでそれらを大きく飛躍する(脱線するような)遠大な思いもあったかもしれない。風呂敷は大きく拡げた方がいいのだ。後は彼等彼女等がその持ち帰った種子をいつ、どういう機会に発芽させるか、大きく育つか、実を結ぶか…そんな事は「わからない」のだ。半分しか与えられないもどかしさは、同時に「自分で考える」ことを強いることでバランスをとるのではないだろうか。
私には慣れない教壇(まぁそんな高みからの目線はないのだが)側からの話がどれほど話せたかは大変自信がない。いろいろメモしてきたことはことごとく冷汗と一緒に流れ揮発していたようだ。抽象絵画というよりも「模様を描く」というレベルで話を進めた方が分かりやすいかもしれない。版画の場合に生まれるテクスチャーやマチエールは紙の上に筆記用具で描く事よりも質感を産み出しやすいし同時に容易くコントロール出来ないことも効を奏しているのではないだろうか。
(もちろん熟練すればできることもあるのだが、ファインアート系での作り手は往々にして熟練を嫌う傾向がある。それは熟練がひとつの小手先に落ち入る危険を含んでいることを感覚的に気付いているからだと思う。)
未来の作家になった時に自発的に直面して欲しい問題でもあるので、そこまでは今回は立ち入れないか…。

今日の授業では言えなかった事など…。

鑑賞と制作の両極に造形思考が関り、その総体が「表現行為」である。
鑑賞力にも想像力や対話力が必要である。つまりは表現力である。
見えないものを掴まえ、見えないものを見る力…それは常識の有無に関係ない。
ワークショップで作った版画にはどれにも作った彼等の自分という切り離せないカケラが含まれているのだ。
上手に出来たかどうかに意味はない。上手にできなかった事の方に意味を見つけるような鑑賞力だってあっていいだろう。
作者よりもその作品について深く見ている場合だってあるはずだ。
今出来なくても明日出来るかもしれない。鑑賞は一生つきあうべき感性のひとつであるだろう。今、急に全部解って出来てしまう必要はない。成長の課程で伴って見えてくることもあるし、その方が多い。
同時に成長することで見えなくなったり感じれなくなることだってあるんだから。

「解る」ということと「感じる」ということの違いを知っておくべきだろう。
解るよりも感じる事を優先する場合もいっぱいある。

自分で見つける。自分だけに判ったのかもしれない感じた「美しさ」、それを他の人に解ってもらったり、伝える課程で他の人にも見えてきたりする。そうした共有感、相互理解、、、。
美しさはそうした時の共通の言語を探るために手っ取り速く近くにあるものなのかもしれない。認めあうという前提。

…ここまで書いててだんだん日誌記録というよりも散文詩的な、あるいは思いつきのフラッシュバックとかフラグメントになってきた。誰が読んでいるかなんて気にしないで、書く。間違ってることでも…書く。だれか指摘してくれ!

さて、すこし冷静になって、日記の続きを時系列に…。
授業そのものは短い45分の1校時間。終了後に行われた授業そのものを題材として評価する会議が行われた。
本来はそちらまで私が立ち会う必要はなかったのだが、物見遊山な気持ちも手伝って傍観のつもりで会議への参加を了承したら、会議室の席順ではパネラー側に座ることになりびくつく…。途中で参加者よりワークショップの手順に付いての質問があり私の方から話させてもらった。餅は餅屋じゃないが、いつも同じことばかりしているのでその手順の説明にも説得力はすこしはあったかな。
版画は他の美術のマテリアルよりもアルチザン(職人)的な側面も確かにあるためだ。まぁ、多分にだらしない職人で、職人の風上にも置けないような自分ではあるのだが…すみません。謝ってばかり…。

最後にH市のN校長先生より総括。
授業前にお会いしていろいろお話を伺っていたのだが、この拙作Webサイトもチェックされていたそうで、ここ数日の日誌の更新がないですね…と指摘されていた。またまた冷汗が滝のように流れる。またその総括のなかでこの日誌内からの一文抜粋をプリントアウトされて持参し朗読された時には…冷汗が滝を通り越して大河の濁流のように鳴り止まず、心音の方が止まって聞こえなくなりそうだったです…どうか、ご、ご勘弁ください…そこから記憶がありません。



お弁当とお茶をいただいて裏口から逃げるように脱出。午後からは体育館でなに別の会議があるようだが、私にはもう関係ない。
弁当は家に持ち帰ることにして、昼食を真向かいの「焼そば 鈴木」で大盛りを食べる。2回目。でもなんだか味が掴めない。焦げたキャベツの繊維質が歯の間に挟まる。

帰宅後、珈琲豆が切れているので県病前のジターヌまで。
お店の奥さんが「今日、莨町小学校と書いたカードを持って辻辻に立っている人をたくさん見かけて宗教関係かと思った」と聞いて噴き出した。県外からの来場者もあって「場所の案内で何人も立っていたんですよ」と、今日の授業の事などを話す。そこへO先生から携帯に電話…「今日はありがとう。今度飲もう」「こちらこそ、面白い体験でした…(でももう2度と嫌です!)。」(笑)
ご苦労さまでした。

昨年の「怒濤のっ!」で参加された作家が数名来青。些末に忙しく、関係者で集まっての飲み会にも参加出来なかった。ごめん。
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by aura-21 | 2007-07-27 20:51